解説2
※ 作品の解説です。
※ 更新のさい長くなるのでここで分割いたしました。簡単な解説のつもりが長くなってしまい管理者自身どこまで書くのじゃーとあきれてしまっております。
作品185
杭州を陥落させられた方臘軍は退却し烏竜嶺に防衛の体制を整えた。
この山を越えると睦州、その先は本拠地であった。
方臘側はここで梁山泊に進軍をくい止めなくてはならなかった。
方臘軍の守りは堅く梁山泊軍はここで阮小二、孟康、解珍、解宝の4将を失うこととなる。
怒った宋江は兄弟の遺体を回収しようとしたが、これが石宝の罠であり出口を押さえられ絶体絶命となったのであった。
この様に述べると方臘軍優勢みたいだが実は方臘側は相次ぐ敗戦で兵が不足し要害の守備が不能状態に陥っていた。
石宝は増軍を願い出たが却下され手持ちの兵で数に勝る官軍を相手しなくてはならなかったのであった。さらに劉元覚が睦州の救援に向かったためさらに悪条件で戦うことになった。最後は石宝は臨沮の猛将のごとく退路を断たれて終わるのだった。
弱い者を助ける無能者としてゾロを紹介したが、こういった作品は現代に近ければ近いほど多くなるし水滸伝の解説としてはふさわしくないものだったかもしれません。
こういった個人が活躍するものは多く、例えば他にはアルセーヌ・ルパンなどもそういったものに数え上げることができるのかもしれません。
管理者は解説182にて庶民の無法者が圧制者を懲らしめる物語に人々が期待を込めているということを述べたが、実は圧制者を懲らしめることは絶対条件では無いのかもしれないとも疑っていいます。
つまり悪自体が好まれているのではないかとの見解も一方に持っているのです。
水滸伝の主人公はご存じ悪者たちです。やっていることは悪事であり、彼等は宋江によって無理矢理忠義の実践を強いられているのでありますが本質的に悪人なのです。
水滸伝の圧制者を懲らしめる要素を排除して物語りを組み立ててみたら以外と指示されるのではないかとも思えるのです。
義理人情を捨て、完全な権力抗争。王倫は山賊のくせに社会的常識があって穏健でありリーダーにふさわしくないので抹殺されたとか。宋江はボスになりたくて晁蓋暗殺を試みるとか。李雲は本質的に正義の人だったので山賊家業になじめず山の掟に逆らったので粛正されており、同姓同名の李雲が頭領になったとか。
宋江が招安を願ったのは組織が肥大化し財政面で破綻をきたしこのままでは自分の地位も危うくなりかけたので国軍として取り込まれ組織を維持しようとしたためとか、我欲ばりばりの物語でも以外と支持されるのではないでしょうか。
悪党が悪党行為だけで喝采を受ける例として二つの物語を紹介しよう。
といって発展しすぎた現代の小説では水滸伝の題材にふさわしくないので日本の古典芸能である歌舞伎から取り上げてみよう。
日本の大悪党といえばご存じ石川五右衛門。
京都を荒らし回った盗賊団の首領で最後は釜茹の刑になっちゃうあの人。
辞世の句「石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」は有名だが。
強盗、追い剥ぎ、など悪いことを沢山やったようなので題材としてはぴったりかも。
作品は「楼門五三桐」。
どこかで観たことがある作品でしょうから、思い出していただけるよう解説します。
安土桃山時代、天下を統一した真柴久吉(羽柴秀吉)は異国に侵略戦争をした。滅ぼされた国の「宋蘇卿」は復讐せんと日本に渡ってきたのだった。
彼は野望は3人の子供に日本を支配させることであった。
「真柴久吉」には2人の息子がおり長男の「久二」は愚鈍で次男の「久秋」は聡明であった。久吉は後継を久秋にしたがったが久秋は兄をたたてそれを避けた。
久二は父親から切腹を命じられるがそれを救ったのが大炊之助。彼こそは宋蘇卿であり、久二を誑かし謀反をし向けたのであった。
しかしこの計画も久吉の家臣「早川高景」によって見破られ宋蘇卿は自害して果てるのだった。
京都南禅寺の山門で景色に悦に浸る男があった。飛んできた白鷹により父宋蘇卿が亡くなった事を知る。彼は中国で育ち日本に渡ってからは武智光秀(明智光秀)に養われていた。彼こそが「石川五右衛門」であり実父、養父の仇をとらんと志すのであった。
「絶景かな、絶景かな」というセリフの名場面。
このとき宿敵久吉が変装し巡礼姿で登場、両者遭遇。
話が込み入って来るので簡略して解説。
五右衛門の配下「源五郎」は中納言を襲い中納言の衣装を奪った。目的はこの衣装で久吉に近づき殺害するためであった。
ところが源五郎は中納言の娘「通姫」に一目惚れされてしまう。
どんだけいい男?
話変わって京都に餅屋の夫婦がいた「五郎七」と「滝」であったが。鷹の舞う姿をみて宋蘇卿の部下だった「順喜観」は滝が宋蘇卿の娘であることを突き止める。
順喜観は滝とともに秋久の跡目相続の祝に潜入。順喜観が泥棒となりこれを捕まえた女官として滝が久吉に近づき殺害を試みるも、計画が見破られ捕まってしまう。
一方源五郎に久吉を殺せば夫婦になってやるとそそのかされた通姫は久吉の寝所に行くが殺せない。そのとき銃声の音。五右衛門が久吉を暗殺したのであった。
五右衛門の仇討ち成就。
この時鷹が舞い五右衛門は通姫が妹であることを知るのであった。
追っ手を逃れ南禅寺。
ここで五右衛門万事休す。
実は順喜観の正体は「加藤清正」であり、殺した久吉は影武者だったのであった。
全て久吉が一枚上手だったということである。
五右衛門は再びの決戦を誓い物語は終了。
全体的に仇討ちの話なのであるが、最後は人たらしの秀吉の腕前披露といったところか。
大悪党の石川五右衛門だが物語では庶民を苦しめるところがないのでOKなのか。
これも権力者秀吉と戦う義賊という側面があるので例としては適当でなかったかもしれない。
次回解説にてもう少し条件にあった話を紹介するとしましょう。
作品186
石宝と劉元覚が烏竜嶺を守り睦州への侵攻を阻んでいたが、梁山泊軍は裏道を発見し睦州に迫った。睦州を救援すべきかどうかで石宝と劉元覚は真っ二つ対立してしまう。
石宝は烏竜嶺で官軍の侵攻を防いだ方がいいと主張し、劉元覚は睦州を抜けると帝都は間近なので救援すべきとした。
このころの官軍は童貫が杭州まで禁軍を引き連れてきており、まもなく梁山泊軍に禁軍を加えた膨大な戦力が烏竜嶺に迫ってくることとなっていた。
状況はペルシャに山越えされたスパルタの如く風前の灯火状態であったといえる。
一般的な作品は好漢の集合段階ばかりが登場し以降が省略されており、これでは水滸伝本来の意味を失わせてしまいます。
この漫画では水滸伝を均等に画くという意味で後半の戦争部分を中心にえがいて来ました。現在方臘を中心に漫画にしているのですが、書き上げる中で気が付いたことがあります。
管理者は林冲人気があるので均等にするつもりで関勝を多めに画くつもりでいました。
ところが物語の方臘編ではやたら関勝が目立っています。管理者が意識する必要もなく原作で関勝の活躍を画いているのです。これは以外や以外でした。
逆に方臘では林冲を画こうとしても無理があります。彼は方臘ではまったく影の存在になってしまっているのです。
これは原作者が好漢の集合段階では林冲に活躍させるが、遼では廬俊義、方臘では関勝に花を持たせようという意図があるのであると読みとれます。
この傾向を読みとるに、やはり水滸伝は集合段階で切ってはいけないのだと痛感致します。
悪党は義賊でなくても支持されるのかということで石川五右衛門を紹介しました。
楼門五三桐自体が仇討ちのお話なので条件としては満足いくものでなかったかもしれません。石川五右衛門自体は30人ぐらいの手下を従えた悪の軍団なんですがねえ。
そこで今回は歌舞伎から河竹黙阿弥の「青砥稿花紅彩画」(あおとぞうしはなのにしきえ)をご紹介致します。
なんか覚えにくいタイトルですよね。俗に「白波五人男」と呼ばれていますのでこちらで覚えてください。
タイトルでお分かりのように5人の悪党が登場します。白波=盗人
その五人とは
日本駄右衛門
弁天小僧菊之助
南郷力丸
赤星十三郎
忠信利平
です。
この中で読者がご存じは弁天小僧でしょう。そうあの女装が得意の青年。
最近テレビで女装の芸能人が多いと思ったら、江戸時代からその傾向があったのかもしれませんねえ。
青砥稿花紅彩画のあらすじはこの様なものです。
序幕
春、桜が満開の初瀬寺。小山判官の息女「千寿姫」が亡くなった婚約者を弔うために参詣にやって来た。
千寿姫には不幸が重なっていた。姫の小山家の当主は病死。嫁ぐ先の信田家は「三浦泰村」の讒言によりお家断絶となり、婚約者は行方しれずで亡くなったとの噂があった。
さらに小山家の乗っ取りを企む「薩島」により三浦泰村と結婚させられようとしていた。
そのような失意のどん底にある千寿姫は初瀬寺である若者と出会う。
彼の素性を訊ねるとなんと婚約者の「小太郎」であった。
千寿姫は天にも舞い上がる喜びよう。しかし小太郎は許嫁に出会ったというのにそっけなかった。これに姫はうなだれてしまう。
信田家の家臣頼母は旧主の後室の薬代を甥の「赤星十三郎」に相談していた。しかし浪人の身の上そんな大金があるはずもなかった。その後十三郎は初瀬寺に参詣に訪れたさい仏前の回向金を盗むが薩島等に見つかり袋叩きにあってしまう。
その後小太郎と千寿姫が逢ったことを知った薩島等は茶屋に乗り込んでくるが、そこにいたのは「忠信利平」であった。薩島らはかなわぬとみるや回向金百両を渡して逃げていった。
この一連の事件を眺めていたには盗人「南郷力丸」であった。彼は忠信から百両を奪わんとして戦いを挑むのであった。
一方百両を取られ頭に来ていた薩島等は腹いせに千寿姫の家宝「胡蝶の香具」を盗み罪をなすり付けようと画策した。
これを立ち聞きした千寿姫は胡蝶の香具を婚約者の小太郎に渡すと、住まいまで連れて行ってと頼むのだった。
初瀬寺がら逃げたふたり、しかしいえどもいえども小太郎の家には辿り着かない。
とっぷり日が暮れ人気がない場所に流石に千寿姫を不安になってきた。
そして着いたところは朽ち果てた祠であった。
そこで小太郎は自分は「弁天小僧」であると正体を明かしたのであった。
実は弁天は旅先で小太郎と会っており彼の遺言で結納品であった千鳥の名笛を許嫁に渡してくれるように頼まれていたと言う訳なのだった。
千寿姫には衝撃の事実。恐怖と悲しみに襲われて弁天の制止を振り切り谷底に身を投げるのであった。
弁天の手元には香具が残った。すると祠から修験者姿の男が現れ香具をよこせと迫ってきたのであった。この男こそ「日本駄右衛門」であった。
弁天では到底適わない相手であったが、その心意気に感心した日本駄右衛門は香具は不要だが手下になれと命令する。こうして弁天は彼の手下になるのであった。
さて盗みを働き武士の誇りも失った赤星三十朗は失意のうち身投げしようとしていたが
そこに声を掛ける人物がいた。千寿姫である。谷に身を投げた千寿姫だがこれが生きていた。(良く生きていたな。)二人は会話をして姫再び川へダイブ。(このためだけに復活?)
姫の最後を見て再び自殺しようとしたところに再び呼び止める声がした。
忠信利平であった。彼は薩島から奪った百両を赤星に渡すと自分は日本駄右衛門の手下であることを告げる。そこで赤星も仲間になる決心をする。
そこに、日本駄右衛門、南郷力丸、弁天小僧が登場し忠信利平さらに赤星三十朗が加わり
白波五人男が揃ったのであった。
水滸伝では108星集結といったところ。
二幕
呉服屋「浜松屋」は大変繁盛していた。(現代でも衣料店は繁盛しているのでユニクロみたいなものか)
ある日、高島田に振り袖の武家の娘とお供の侍がやってきた。
婚礼の支度ということであれやこれやと引っ張り出させ品定め。二人の様子を眺めていた手代は万引きを発見するや店中大騒ぎ。
素知らぬ顔で店から出ようとした娘に、商品である「緋鹿の子」を置いていけと迫る。
娘とお供の侍は怒るが、娘の懐から緋鹿の子が出てきたものだから確信した店員たちはみんなで娘を殴ったのであった。
そこに浜松屋の息子「宗之助」が帰ってきて、娘が盗んだとされる緋鹿の子をよく見るとなんと山形屋の名札ついているではないか。
今度はぬれぎぬを着せられたうえに暴行を受けたとして従者の侍が責め立てる。
騒ぎを聞きつけた浜松屋の主人「幸兵衛」が現れ百両で話をつけた。
娘と侍が店を出ようとしたとろ、たまたまそこにいた「玉島逸当」という武士が自分は二階堂信濃守に仕えているが彼のような武士は知らないと証言し、一転娘と武士の悪事がばれたのだった。
どかっと腰掛ける娘。先ほどまでしおらしくしていた美しい娘がふてぶてしい態度を見せると諸肌を見せて豹変してしまう。
娘は男であったことを知る店の一同。
かれこそが弁天小僧であり従者の侍は南郷力丸なのであった。
発覚後の二人は因縁をつけ浜松屋の主人から二十両をせしめると去っていったのであった。
その夜、浜松屋ではお昼の一件のお礼にと玉島逸当に宴が設けられていた。
宴もたけなわ主人は「お礼の品を差し上げたい」というと侍は「有り金残らず頂戴いたしたい」と鞘から刀を抜き幸兵衛、宗之助親子を脅したのだった。
物語は二転三転。玉島逸当の正体は日本駄右衛門なのであった。
(だいぶ話が長くなったのでここらは省略。幸兵衛の実子は弁天小僧であり、宗之助は日本駄右衛門の実子である驚愕の事実判明)
いよいよラストの稲瀬川。
夜が明けて日本駄右衛門ら五人は稲瀬川まで追いつめられた。
その後極楽寺まで逃れたが弁天小僧は裏切って通報した悪次郎と格闘のすえ殺し、誤って香具を川に落としてしまう。屋根に追いつめられ逃げ場を失った鼠小僧はここで自害して果ててしまう。
山門にいた日本駄右衛門に手下の三次と吾助が弁天が果てたことが告げられた。
ところがなんと部下の二人が裏切って駄右衛門にかかってくるのであった。
蹴散らす駄右衛門。
見下ろせば手下は全て捕まてしまっていた。
そこには胡蝶の香具を持った青砥藤綱が立っていた。
藤綱は法要を理由にあえて駄右衛門を見逃し、二人は再会を誓い物語りは終わる。
とまあ青砥稿花紅彩画は義賊のお話でないのはお分かりになられたことでしょう。
幕府から物語は勧善懲悪、教訓になるようにするようにとのお達しがあったので、悪者は退治されて終わりというずじにしなくてはならなかったようです。
それでも盗賊団が華々しく登場するのはなんなんでしょうか。
悪の魅力というものなのか、よく分かりません。
このように義賊でなくても見栄えがするなら何でも良しという嗜好があるのかもしれません。
作品187
烏竜嶺の裏道から睦州に迫り来る梁山泊軍。
方臘も手をこまねいていた訳でなかった。魔法使いの「包道乙」とその弟子「鄭彪」を防衛に向かわせたのだった。
この包道乙に持つ玄天混元剣は離れた敵をばっさりとやってしまうラジオコントロールの魔法剣だったのである。武松が腕を切り落とされほどの優れもので多分目にも止まらぬ早さの剣なのであろう。ウルトラセブンのアイスラッガーみたいな切れ味である。
ちなみ彼の剣の餌食になったのは敵だけではない。味方の占い師「浦文英」を怒りにまかせ真っ二つにしてしてしまっているのだ。かなり切れやすい魔法使いだったようだ。
鄭彪は魔法使いながら武術が出来、戦いともなると魔法を繰り出して相手を幻惑させる。
しかも正体不明の飛び道具も使用する。
彼の餌食になったのが王英と一丈青であった。
宋江率いる梁山泊軍は睦州にてこの魔法使いに迎え撃ちを受ける。
魔法で辺りは真っ黒になり右も左も分からぬ状態になってしまったのである。
宋江万事休すと思いきや運良く竜王に助けられるのだった。
この戦いで項充と李袞は戦死、武松は廃人、魯智深は行方不明となり梁山泊軍歩兵主力は解体したようである。
青砥稿花紅彩画では主人公たちは浜松屋を襲うが、実は身内だったという顛末。
ここに作者は悪党たちに痛いしっぺ返しをするわけです。
悪は他人にして痛快なものですが、被害者の立場からは惨憺たるものであることを犯罪者たちに身をもって知らせているのです。またその最後もハッピーエンドではありません。
悪には制裁と与えるということなのでしょう。
次に紹介するのは「天保六歌撰」です。
河内山宗俊(宗春)という茶坊主が主人公のお話。
彼は実在の人物で江戸西の丸の表坊主で徒党を組み素行の悪い人物であったようです。
僧侶を女犯として脅し金を強請るなどろくな人ではありません。
なのに何故かこの様な人物をネタに講談「天保六歌撰」などの作品が作られたのはよく分かりません。悪への魅力なのでしょうか。
もっとも完全に悪として画ききることは出来なかったようです。
やはり悪党ながらもっと悪党を懲らしめる役を演じさせられるのですから。
毒をもって毒を制すという庶民の期待ががあるからなのでしょう。
歌舞伎などではこのお波救出のところが演じられております。
ここで主要人物を紹いたしましょう。
河内山宗俊 茶坊主
片岡直太郎 御家人
森田清蔵 海産物問屋
金子市之丞 剣道場主
三千歳 吉原花魁
暗闇の丑蔵
といったところです。
ではあらすじを
茶坊主の河内山宗俊という男がいました。たいそう悪知恵の働く男でした。
ある日河内山が丑松と逢います。ここで丑虎は河内山に博打で負けたもで金をせがみます。
親分肌の河内山のこと「まあまあ少し待て」と悪知恵を働かせます。
向かった先は袋物屋の「丸利」。
お店にはいると彼はあれやこれやと物色して珊瑚の珠に目をつけます。知らぬ顔をしてこっそり珠を鼻紙に包んでポイと外に捨ててしまいます。すると待ちかまえた丑蔵が拾って持ち去りました。店内では店員が河内山に見せた珠が紛失していたものだから大騒ぎ、主人も現れ彼を追求します。知らないの一点張りの河内山に店の者は怪しみ身体検査をしたのでした。ところが珠はでてこない。こうなると強気の河内山、「この落とし前はどうしてくれるんだ」とまんまと百両をせしめたのでした。
またある日のことこ河内山は犬を見ていいことを思いついた。
さっそく犬を引き連れて質屋の「上州屋」にやって来たのでした。
そして店の主に「名前を質に入れたい」と言った。主の彦右衛門はご冗談をと要求を突っぱねたが河内山、「大切なものを質に入れるのだろう?この犬で50両を貸してくれ」と再び言ってきた。
主は「娘を取り返してもしたら考えましょう」と言う。
実は彦右衛門には悩みの種があり、丁度親族会議の真っ最中なのでした。
事情というのが上州屋には「お浪」という娘がおり、泉屋の次男定次郎に嫁がせるつもりでいました。嫁に行く前に行儀見習いとして20万石の大名である松江家に腰元に出したのでした。ところがお殿様に気に入られ「浪路」と呼んで妾になることを強要されたのでした。お浪は屋敷から出ることも出来なくなりこのままでは自害して果てるとのことでした。そこで親族一同集まってなんとか連れ戻す方法はないかと思案していたという次第。
そこで河内山これを三百両で引き受けたのでした。(犬はどうなったのか)
松江家に東叡山輪王寺の「海道」なる僧が家長を訪ねてくる。
松江小将何事かと訊ねると僧曰く「お上は上州屋と親しく、その娘が妾にされようとしていると知られ弊僧を使わされた。これはお家の恥となるゆえ速やかに娘を帰されたし」
当主はお上の命とあらば従わなくてはならない。
早速娘を帰すこととした。しかし、ここで松江小将はこの僧どこかで見覚えがあった。
これに詳しい小林大膳に命じ顔を改めさせようとした。
娘を連れて帰ろうとした河内山の黒子を見て、彼が河内山と見抜いてしまう。
ところがここで河内山開き直り「事の次第がばれちゃお家の恥それでもいいのかい」と脅す。高木小左右衛門がこれはまずいと小林を黙らせ河内山を放免したのでした。
かくしてお浪救出作戦は大成功に終わりました。
松江家の噂を聞き及び「片岡直次郎」(通称直侍)なる御家人が河内山を訊ねてまります。しかもこの男おみやげとして腐った魚を持ってくるような人物。
縁もゆかりもないのにこの男、河内山に百両を無心にきたのでした。
ここで親分肌の河内山「なんだなんだたった百両か?おいらは千両かと思ったが」と言って百両をドカンと置きます。
再び河内山を訪れた直侍は男気の惚れ込んで義兄弟になってくれるように頼みます。
ぞれじゃーとばかり二人は義兄弟の杯を交わすのでした。
直侍には悩みがあってそれを河内山の相談します。
悩みというのは直侍は吉原の花魁「三千歳」が好きで夫婦になりたいと願っていました。でも女郎を見受けするには八百両の大金がいるのです。適わぬ願いと知りながら河内山に相談します。
「弟の悩みとならばなんとかせねばなるまい」と河内山は「とにかくその女郎を吉原から抜け出させここに連れてこい」と言ったのでした。
ほどなく三千歳が河内山の屋敷に逃げて来ます。直侍は自分が逃がしたと気づかれては行けないので残っていました。
ところが彼を金蔵なる者が怪しみ、くるわ所の庄吉と惣兵衛に伝え直侍を捕らえに行ったのでした。八丁堀の同心「小出道之介」が取り調べます。
直侍やピンチ。
ここに河内山登場。
例によって向島のご隠居に訴えると脅したので小出はしりごみして直侍を解放したのでした。
河内山が自分の屋敷で直侍と三千歳とともに今後を相談いたします。
河内山は「誰か金持ちに一旦八百両を吉原に出させ、自由な身になったところで金持ちから頂けばいい。誰か金持ちのなじみはいないか」と問うと三千歳「海産物問屋の森田清蔵がよろしゅうございます」と答えます。
三千歳の訪問を受け森田は河内山に逢ってほしいと頼まれます。気に入った女の頼み森田は河内山を訊ねます。いつものように騙そうとした河内山、しかし彼は一瞬でこの森田という男ただ者でないことを見抜いて正直に事の次第を告げます。
すると森田「それでは私が八百両を払いましょう。ただし半年の間女は手前の自由にさせて頂きます。その後はご自由に。」と条件を付けてきます。
一同それで納得して約束事は成立いたしました。
直侍は約束通りじっと我慢しておりましたが、三千歳は我慢出来ず主人が商用で出かけると直侍に使いを出して呼び寄せます。
我慢の糸が切れたか直侍逢い引きをしてしまいます。
ところが何度か重ねる内にこのことは森田の気づくこととなってしまいます。
森田は河内山に「半年我慢すれば手放したものを。この落とし前はどうつけるんです」と訊ねた。こうなると河内山もしょうがない三千歳を吉原に戻し八百両を取り戻すことで決着した。
さて吉原に戻った三千歳。女心は移り気なもの次第に直侍が疎くなって心は剣道道場主の「金子市之丞」に惹かれていきます。これに心面白くないのは直侍、金子を待ち伏せして剣で襲いますが金子が一枚上手で飛礫で撃退してしまいます。
これにさらに恨みを抱いた直侍は金子が盗賊であると訴えた。
そうとは知らない金子。吉原で楽しんでいると捕り手がやってくると捕まえられてしまいました。流山無宿の市として捕らえてもののなかなか自白いたしません。
金子は牢に入れられていましたが厠にいってみると、ある男が刃物で自分の縄を解くではないですか、これはなんたる幸運とそのまま逃げます。
この縄を解いたのが丑蔵でして、河内山の命で行っていたのでした。
河内山は直侍の行ったことを知り「このような行いをする者は弟として認められぬ」と兄弟の縁を切り、金子の救出に丑蔵を向かわせていたのでした。
一ヶ月逃げて金子は吉原に向かい三千歳を連れて逃れます。吉原の追っ手は切り捨てて二人は金子の故郷に向かいました。
故郷では犯罪者ということで姉に拒絶され、万屋金兵衛と直七、新七から明日捕まえさせてあげるから金をくれと三人から何百両でしめると姿を消しました。
その後大阪で捕まり。江戸に送られ牢名主になったとのことです。
三千歳がどうなったかはわかりません。
それから十二年後金子の牢に丑蔵が入ってきます。そして河内山がかつて自分を救ってくれたことを知るのでした。
さてお話は河内山に戻って、年月経ち中野家の下降気味で河内山も勢いが落ちていました。ある日のこと河内山は紀伊国屋という茶屋で清元の師匠「延稲」という美人の女性に目をつけます。早速寺に行きなんだかんだと提灯を手に入れると、その足で「延稲」を訪ねます。お寺の提灯を持っていたので河内山を寺の者と延稲は信じ込んでしまいました。
河内山が申すには「寺の住職が死にそうで、死ぬ前に財産を渡したいから至急来られたし」とのこと。慌てて延稲が寺に行ってみると住職はお元気。
そこで河内山「実は俺は寺社奉行の隠密である。女を連れ込み女犯の罪の現場を見たぞ」と脅します。これには和尚大慌て、かくして河内山は百両をせしめたのでした。
最後にそれぞれの顛末をお話いたしましょう。
「河内山宗俊」はさらに衰え町方に捕らえられ42歳にて獄中で一服を盛られ獄中死。
「森田清蔵」は実は越後から九州までを荒らしていた盗賊で小田原にて捕まります。
「金子市之丞」は打ち首。
「片岡直次郎」は死刑。
「三千歳」は行方不明。
「暗闇の丑蔵」は死刑。
でした。
一寸あらすじが長くなってしまいましたが。
「天保六歌撰」は全体的に悪党どもの話ですが、一部義賊化した箇所も見受けられます。
面白みは如何に人になんくせをつけるかといったところにありまして、奇妙な悪党通しの仁義なるものが存在します。
この作品の良さはそのセリフの言い回しにありまして、できれば講談のそれを読まれたほうがさらに面白いでしょう。
作品188
包道乙とその弟子鄭彪の魔法に苦しめられる梁山泊軍。
烏竜嶺を守備する石宝の裏をかいてなんなく裏道を抜け睦州に至ったが、そこは魔法使いたちを相手とする異次元の戦いが待ち受けていたのだった。
竜王の助けもありなんとか危機を逃れた宋江はそこで竜王に勝利を予告されたのだった。
勇気百倍の宋江。早速うち揃って睦州城攻略の乗りだした。
方臘方鄭彪が姿を現すと梁山泊軍も関勝が掛けだし両雄はぶつかる。
ここで方臘側は妖術を繰り出し魔人を登場させた。
一方梁山泊軍の樊瑞も術を用いて神人を招喚したのであった。
結果は樊瑞の神人が包道乙の魔人をうち砕き、関勝が鄭彪を一刀のもとに切り捨てたのだった。
それにしても水滸伝は雑魚キャラにも活躍の場をちゃんと与えてくれるから感心する。
樊瑞も征方臘に公孫勝が帯同していたら全くの出番なしで終わるところだが、魔法ナンバー1が引退し正魔法使いの坐を得たのでやっと彼の唯一の見せ所が出来た。
彼が魔法使いであることの存在理由がこの戦いにあるわけである。
そういう意味で朱武が征遼の陣形戦いにてその真価を発揮出来たように、樊瑞も征方臘真価を発揮できたのである。
これがなかったら彼は霞の存在となるはずであろう。
しかし彼の仲間である項充と李袞はこの戦いにて戦死し、樊瑞の華々しい活躍を見ることもなく世を去ったのは残念なことである。
ちなみに樊瑞の神人は竜に乗っていたのだがこれは竜王の助けがあったと解釈すべきなのであろうか。
悪党は物語の主人公になりうるかということで古典芸能を見てきたわですが、なかなか甲乙つけがたいところにあります。
完全な悪党では主人公のやられ役として登場するのが相場でしょうし、これはノーマルな手法です。これなんか「葵小僧」なんて該当します。
それがちょいと情けっぽくなると「鼠小僧」となるというわけです。
犯罪しているんだけどいい人となんて訳のわからないことになってしまいます。
でも全体として主人公は義賊化してしまう傾向にあるのではないかと思えます。
今回紹介するのは義賊化しない悪人です。
悪党「安達元右衛門」が主人公?のお話「仇討天下茶屋聚」です。
はたして共感を得ることができるのでしょうか。
登場人物
安達元右衛門 早瀬家に仕える
安達弥助 元右衛門の兄、早瀬家に仕える
早瀬伊織 兄、父を東間にだまし討ちに遭っている。
早瀬源治郎 弟
東間 早瀬の仇
腕助 東間の仲間
幸右衛門
あらすじ
父を殺され、その者に家宝を奪われた早瀬家がありました。
伊織家のは二人の兄弟、兄の「伊織」弟の「源治郎」がいました。
また早瀬家には二人の兄弟が仕えており、兄は「弥助」弟を「元右衛門」といいました。弟の元右衛門は酒癖が悪くある日「腕助」に無理矢理酒を飲まされ泥酔してしまうのでした。
これに怒った主人と兄は彼を家から追い出してしまいます。
それからの後のこと、物乞い按摩が早瀬家やって来ました。彼こそが元右衛門でした。
そこに奪われた紀貫之の書が見つかったとの知らせが入ったきます。
早瀬家には此を買い戻す金はない、やもうえず長男伊織の妻を身売りしてお金を作るのですが。。
この話を棚に隠れ聴いていた元右衛門は兄弥助を斬り殺し、安達伊織の足に斬りつけお金を奪って逃走してしまいます。
なんて酷い人物なんでしょうか。
兄の伊織は歩けななくなり弟の源治郎は目を患い早瀬家は落ちぶれて乞食の世話になるような有様となりました。
金を奪って逃げた元右衛門はどうしたかというとなんと東間の仲間となっていました。
そして腕助と共に3人揃って主人であった早瀬伊織を殺してしまうのでした。
ただ一人の残された弟の源治郎は偶然早瀬家に恩のある「幸右衛門」と出会い、二人して腕助を捕らえ改心させ仲間にしてしまいました。
そこにやって来たのが元右衛門。
悪事三昧もここで終わりを告げ、切られて果てたのでした。
とどめは3人揃って東間を天下茶屋で待ち受け仇討ちを果たします。
大団円。
とまあ小悪党のお話でしたが、結局は退治されて終わりなんですな。
本当の悪党は物語ではこうなる運命なんでしょう。
これで残った弟の早瀬源治郎まで殺されたときたら観客は納得するかどうか。
やはり悪党を生き残らせるにはさらに上を行く悪党に登場していただいて退治させるしかないのでしょうか。
作品189
方臘攻略にさい梁山泊軍は二手に分かれて進軍する。
一つは宋江率いる軍団で関勝、秦明、花栄等なのど武将がいる。征方臘においては物語はこちらを中心に語られる。
もう一方は廬俊義率いる別軍団である。こちらは林冲、呼延灼、董平などがいる。
宋江が睦州の包道乙と戦っていた頃、廬俊義軍は?嶺関に行く手を阻まれていた。
これまで廬俊義側の戦闘は宋江に対する報告として述べられてきたが?嶺関の戦いはきちんと物語りとして画かれている。
?嶺関を守るのは弓の名手「ホウ万春」
この戦いにおいては偵察として出撃した史進、石勇、陳達、楊春、李忠、薛永を射殺してしまう。
?嶺関の守りが堅いので軍師の朱武は時遷に命じて密かに敵の背後に出て敵を驚かせる事とした。火砲、火薬、火石を携えた時遷は難所を軽々と乗り越えて背後に首尾良く回り込んだのだった。
と同時に廬俊義軍は伏兵を追い払うために草木を焼き?嶺関に迫る。
ホウ万春は廬俊義軍が進軍してきたので前面に気を取られていたところ、突然背後から火の手が上がり砲の音が鳴り響いた。
さては敵は背後に回ったかと錯覚したホウ万春は大慌て、?嶺関を捨てて逃げたのだった。
かくして廬俊義軍は難所を突破したのであった。
時遷は結構活躍するキャラなのだが107位と低くなんでだろうなと思っちゃいます。
孔明、孔亮なんかがずっと上なのが納得できない。
これコネてやつ?
時遷は盗人だけど梁山泊では忍び的存在ですなあ。やはり人殺しが出来ないところに地位の低さがあるのでしょうか。
悪党が悪党行為だけで物語りとして語れるかということで古典作品を紹介いたしました。やはり退治される悪というものが前提であり、悪党が生き残るとするならばそれ以上の悪党を懲らしめるという役割を演じなけれなならないようです。こうして悪党は正当性を得るという訳です。
今回はぐっと時代を下って現代といきましょう。現代では多種多様の価値観をが容認され悪についても自由な表現があるので悪党自体も物語として成り立ちやすいのですが、一般的なものとして歌舞伎の題材にもなった「雲霧仁左衛門」について取り上げることいたします。
上演としては「名誉仁政録」「竜三升高根雲霧」があるようです。
この題材は池波正太郎が時代小説として執筆されているのですが、管理者は松竹映画でしか知らないのでこれを基にお話いたします。
松竹作品 1978年公開 監督 五社英雄
<登場人物>
雲霧仁左衛門(仲代達矢) 盗賊団頭目
七化のお千(岩下志摩) 手下(池波創作)
木鼠吉五郎(長門浩之) 手下(実在?)
因果小僧六之助(あおい輝彦) 手下(実在?)
黒塚のお松(賠償美津子) 手下
州走りの熊五郎(夏八木勲) 手下(実在?)
おさらば伝次 手下(実在?)
阿部式部(市川染五郎) 火付盗賊改方(警察の方)
松屋(丹波哲朗) 尾張名古屋の商人(豪商)
辻甚之介(松本幸四郎) 雲霧仁左衛門の兄
他略
ストーリーについては現代のものですので容易に見ることができますので詳細にはご説明いたしません。全体の話は火付盗賊改の「阿部式部」と盗賊団首領「雲霧仁左衛門」の息詰まる攻防戦です。アニメでいうとルパン三世と銭形警部の追いかけこといったところでしょうか。
「殺さず、犯さず、貧しきからは奪わず」がモットーの強欲豪商ばかりの狙う盗賊団です。(こんな奴いるかー。)
殺し合いは同業者の盗人同士の争いで行われます。あとは捕り物での殺陣です。
物語は江戸の豪商近江屋から始まります。とある盗賊団が近江屋を襲います。残虐なやり口で女も犯します。この時雲霧一味は店を襲った盗賊団を出し抜いて金の在処をつきとめ頂戴していきます。
火付盗賊改の阿部式部は盗賊団を逮捕したのですが、雲霧一味は逃してしまうのでした。
雲霧仁左衛門は配下に宣言します。今度の尾張の豪商松屋で解散すると。
仲間は最後の仕事に全力で挑みます。
そのころ阿部式部も雲霧一味が尾張で活動中の情報を得て乗り込んできます。
松屋の主人は計略通り七化のお千に夢中。そして金の在処を教えてしまうのでした。
金を運び出していたところ阿部式部の捕り手に囲まれ一味はどんどん捕らえられてしまいます。かろうじて雲霧仁左衛門等数名が残る身となっていました。
首領を捕まえ損なって苦しい立場の阿部式部。そこになんと自分が雲霧仁左衛門であると名乗り出る者がいました。この男こそ雲霧の兄辻勘之介でした。
嘘と知りつつ話に乗る阿部。かくして辻勘之介と雲霧一味のものが処刑されたのでした。
兄が自分の身代わりしなって死んだことを知る雲霧。その兄の願いが主君への復讐であったことから彼は兄に代わり行動を起こします。
この兄弟実は尾張藩勘定方の辻蔵之介の息子でした。辻蔵之介は横領の濡れ衣を着せられ一族共々殺されたのでした。二人だけは逃れ助かったという訳です。
この濡れ衣というのも尾張公が将軍の地位ほしさに金をばらまき、その為藩の財政が危うくなりその責任をみんなで辻蔵之介に負い被せたのでした。
恨みを晴らすべく尾張公の前に現れた雲霧仁左衛門。ばっさばっさと重臣を切り伏せてしまいます。尾張公とその息子を殺害しようとしたがそれを止める奥方。
この女性こと雲霧の恋人だった人でした。ここで雲霧は衝撃の事実を告げられる。
なんと尾張公の息子は本当は自分の種の子だったのだ。
奥方を連れて逃げる雲霧。しかし哀れ仲間とともに奥方は爆死してしまいます。
寺で雲霧仁左衛門の墓にお参りをしている一人の男がありました。
そう自分の不正に自責の念をもって辞職した阿部式部でした。
この時山門から寺に来る一人の男がいました。雲霧仁左衛門でした。
しかし二人は気がつかないまま去りゆくのでした。
終わり。
この話では雲霧仁左衛門の主張として、「自分は誤った御政道に逆らうため盗人家業としている」ということ。その根拠として尾張公の所行があげられます。
まあ、一般人に手を出さない、不当な利益でおお儲けしている豪商を対象とするということでこの主張は正当化させているというわけです。
またライバルである阿部式部も責任で追いつめられて、無実の人間に罪を被してしまった後悔というものがあり。彼も政道を誤ったものとして画かれています。
全体として政治悪というものが最大の悪となっているようです。
この様に本当は大悪党のはずなんですが一般人を襲わない、悪い権力者に逆らうということで義賊化しているといえます。
水滸伝でもこの点は踏まえてます。唯一それに逆らったのが朱仝を仲間に引きいれる際子供を殺害したところでしょうか。後味の悪い物となっています。
もちろん李逵は江州や祝家荘でも大暴れしていますがこちらは戦闘シーンとしてあまり印象には残りません。
義賊に人々はなにを求めるのか、それは息詰まった現秩序の破戒というものではないでしょうか。
作品190
?嶺関を突破した廬俊義軍次の攻略地は歙州(けいしゅう)であった。歙州には王寅と高玉の二将が守っていたのだが、ここに?嶺関を放棄し退却した来たほう万春が加わってきた。廬俊義軍は歙州城を攻めたが成功せず、逆に欧鵬と張青を失ってしまう。
この失策に廬俊義は悔しがり朱武と対策を練った。ここで朱武はわが軍が撤退したので敵は必ず今夜攻めてくると読み罠を仕掛けたのだった。
方臘の高玉はなかなかの知将であった。かれは梁山泊軍の陣まで密かに侵攻したのであったが、ここで敵陣内の更点の音が不規則なのに気が付くと慌てて罠と気が付き軍を止めた。ほう万春は怪しみ理由を尋ねると「更点の音が弱々しいので計略があるに違いない」と説明する。しかしほう万春は「戦いに疲れて太鼓の音が弱いのです」と譲らない。
高玉は疑念を抱きながらも廬俊義軍を襲ったのだった。
陣内に突入してみるとやはりもぬけの殻であった。みればば桴が山羊に取り付けられ太鼓を打っていたのだった。
まんまと策にはまった方臘軍は廬俊義軍に攻められ破れてしまう。
ここで高玉は呼延灼によって撃ち殺されほう万春は捕らえられてしまうのだった。
ほう万春は史進達を殺したのでちょっと目立った存在である。しかし弓の技は優れたものがあるようだがその後の彼の行動を見る限りあまりたいした人物ではなさそうだ。
?嶺関も勘違いで自滅であるし、しかもとっとと逃げ帰っている。歙州では勘の鋭い高玉の足を引っ張って敗退させている。同じ弓の使い手の花栄が出来すぎなのか単なる愚か者に見えてしまう。武芸はいいがほかはちょっとという意味では史進と良い勝負だったのかもしれない。
盗賊集団が演劇や文学で題材にされるとどの様になるのかちょっと散策してみましたが、退治されてしまうのが多いような気がします。
やはりどんなに正当性を標榜しても犯罪を犯す者には制裁が与えられるということでしょうか。
ところで水滸伝も犯罪者集団なので当然この問題に打ち当たってしまうわけです。
水滸伝成立前にも36人の悪党集団としてのお話はあったわけです。この問題に水滸伝作者の施耐庵も気づかないはずがありません。当然悪についてどの様にしたがいいかの考察はあってしかるべきものです。施耐庵はどの様な答えを出したのか、これから説明致します。
その前に盗賊集団である梁山泊に施耐庵とは別の見解をもって作られた作品を吟味することと致しましょう。つまり別の水滸伝を読み解くことにより本来の水滸伝の像を描き出すと言うわけです。
必要な資料は梁山泊を犯罪者集団をハッキリ割り切っているもの。しかも最後は正義のもとに退治されなければならないものでしょう。
つまり底の浅い単純な処理の仕方をしている作品です。
水滸伝を読むと好漢に活躍には心踊らされるけど追い剥ぎ殺人などとてもじゃないが手放しで喜べない読者も多いことでしょう。
そんな欲求に応えてくれるのが「蕩寇志」という作品です。
管理者は読み終わって思わず「け、けしからん」と激怒したわけですが他の方が読まれると楽しいかもしれません。
蕩寇志の作者は「兪万春」という御方です。
作品を読む限りにおいて水滸伝を丹念に読んでいるのが分かります。ただし水滸伝の犯罪行為に対して目が行きすぎてその精神が理解出来ないように見受けられます。
かれは序文最初「施耐庵先生は宋江を忠義の人として画いていない」と第一声を浴びせています。こういうところは水滸伝が外国遼を倒し反乱軍方臘を鎮圧し国家の安寧を目指したものであることが読みとれていない所に起因します。
梁山泊の旗印「替天行道」どのように彼は解釈していたのでしょうか、管理者は「天軍(禁軍)に替わって道(治安の維持)を行う」と読み解くのですが。そのために36人の盗賊集団から108人の軍団に改編されたもの理解しています。
水滸伝で物語初段階で高キュウを敵の中心としたのも彼をもって禁軍弱体の象徴として据えたものであり、物語はそこから始まり高キュウをうち破ることにより真の禁軍としての軍団が誕生したという流れになっています。
兪万春は「忠義なれば賊ならず」「賊なるは忠義無し」とも述べている。ここについては水滸伝を良く読んでいるのかと思います。そもそもが宋江以下108人は忠義心などないのです。それを仁の人宋江が使命に従っていやがる仲間を無理矢理国家組織に組み込み国軍としての活躍を強要したのです。その強制的旗印が「忠義双全」というものです。
極論からいうと、もともと36人の悪党が施耐庵の策謀によって良い人を演じさせられたのです。忠義そのものは組織を縛るためのもので、それを束ねる宋江自体がそのスロガン通りに思っていたか悩ましいところがあるのです。宋江自身は指名を果たさなくては地獄行きを宣告されていましたから。従ってその宋江に忠義は偽善というのは愚かしいことです。
兪万春は「盗賊行為を働き忠義と称するこのような行為が小説として流布するのは非常に問題で後世の盗賊が口では忠義を唱えながら悪事をすることとなる。」と述べています。
それについては逆で忠義を掲げたために梁山泊は悠々自適のパラダイスから苦悩の地獄に突き落とされたわけで盗賊集団がそんな愚かなまねはしたくないと思うことでしょう。
そもそもがスローガンてのは実体と合わないもので、十字軍でもでっかく愛の旗印をかかげイスラム軍をぶっ殺す方もいるわけです。そのような事に目くじらをたてる事自体が文人の神経質さともいえます。
兪万春はこの様な理由により梁山泊軍が退治されることの小説を書いたと述べています。
まあ趣旨は分からないでもないですがあまりにも主人公達が綺麗すぎて臭すぎます。
管理者だったらこの様な作品は作らないでしょう。
創作するとするなら梁山泊がどろどろの権力争い裏切りを演じ破綻してしまう物語でしょう。それこそ盗賊集団のリアリティてやつです。
作品191
睦州宋江軍さらに歙州を廬俊義軍に陥落させらて方臘軍は本拠地清渓を残すものとなった。これに対し方臘軍は後がないので、率先して迎え撃たんと全軍を出撃させたのであった。いよいよ梁山泊軍最後の戦いは始まろうとしていた。
そのころ梁山泊軍は最後の仕上げにかかっていたのだが、この戦いにおいて方臘を取り逃がすことを心配をしていた。そこで李俊等に偽りの投降をさせ、内部に送り込み方臘の顔を調べさせる計画を実行したのであった。
さて李俊の作戦は内外呼応して城を落とすということでは大成功であったが、方臘を捕らえるということではあまり効果がなかったようである。
というのも方臘は魯智深に捕縛されたのだからである。魯智深は包道乙との戦い戦いにおいて行方不明になっていたのであり、彼は迷っていたとき老僧に出逢い方臘を捕らえることを教えられたのであった。つまり李俊の情報によるものでなかったということである。
それにしても方臘の婁敏中という方は李俊の言葉を簡単に信じてしまうので、案外いい人なのかもしれない。その点梁山泊が最初に戦った潤州の呂師嚢はしっかりものだったようだ。
梁山泊に盗賊の面について大きく取り上げた作品として「蕩寇志」なるものが存在することは前回ご説明いたしました。
盗賊作品ではその末路は大きく
A,盗賊は主人公の敵役として登場し退治される。
B,盗賊が主人公であり最後は退治されたり捕縛される。
C、盗賊は義賊なので逃れる。
といったものです。
このうち蕩寇志はAに該当します。
作品中に新たな主人公を登場させて、彼等に盗賊である梁山泊を退治させるというものです。従いましてどうしても水滸伝とは視点が180度変わってしまうので違和感が非常にあります。それまでの主人公が脇役になってしまうわけですから感情移入がおかしくなってしまうのです。しかも新しいキャラが魅力的かというとそうでもありませんし、どうしたものでしょうか。
作者はこういった読み手の感情の繋がりを全く考慮に入れずに物語を作成しているのです。蕩寇志単体でも成り立つ物語ならそれでもいいのですが蕩寇志は水滸伝なくして独り立ち出来ない宿り木みたいな作品なのでますます始末におけません。
こういう場合は上のパターンBを採用すべきであったと思われます。盗賊団の悪行に因果応報の鉄槌を加えるというのであれば、あくまでもそれまでの梁山泊の主人公の流れを維持しそれを中心に物語を展開し退治させればよかったのです。
施耐庵水滸伝を採用しないのであればパターンAでもよいですが。
作者「兪万春」は蕩寇志において梁山泊の悪行を裁くということと、真の忠義の士とはこの様なものであると画きたかったのでしょうがちょっと欲張りしすぎました。どちらか一方のみであればもう少し構成が単純に出来たはずです。
真の忠義の士を画きたいのであるなら梁山泊は登場させずに悪政に立ち向かう一団のお話にすればいいのです。
蕩寇志内部には「山賊退治」と「忠義の士」という二つの要素が盛り込まれています。そのまま利用しては水滸伝が盗賊団として退治される場合の物語の様子が分かり辛くなります。
そこでこの解説では蕩寇志の主人公の物語の部分は省略させて頂きます。先の例ではBパターンに変換して紹介するということになります。
ではそのあらすじを。
(捕縛はその後処刑されるので死亡とを解釈してください。)
(尚、このあらすじは1992年4月発行内田追夢訳「蕩寇志」を参考に書いています。あらすじの最後に猿臂寨の新主人公のリストを添付しますが、それはこの書をそのまま無断で転載したものです。)
<71回>より物語は始まります。
108人集合後梁山泊は勢力を拡大し西に濮州を破り、東南に済寧州を破り、南に嘉祥県を手中に収め45万の兵力を持つに至った。各地の山賊は梁山泊を主と崇めその傘下にはいった。
政和5年、失った北京大名府奪還のため蔡京が20万の大軍を率いて討伐に乗りだした。
戴宗と周通はその軍を偵察にやってきたのだがあまりにも強力な軍なので肝を冷やす。
これに対し呉用は蔡京の軍など恐れに足りぬと7万の兵で退けようとした。ところが戴宗が蔡京の娘婿が北京を奪われた責任をとらされ知府に降格し赴任するとの情報をもたらしたので一兵も損なく官軍を退ける策を呉用は思いついたのであった。
その策とは蔡京の娘夫婦をさらい「二人の命の保証はない」と脅迫するもであった。。
蔡京は二人がさらわれたと知ると軍を進めることも出来ず、陣内に病が蔓延したという理由で退却した。
この時蔡京の援軍として「雲天彪」なる将が援軍にかけつけ呼延灼を破り<78回>韓韜を捕らえた。この時「楊騰蛟」が「王定六」と「郁保四」の首級を挙げていた。
これに激怒した宋江は蔡京に領土の返還、楊騰蛟と雲天彪の首、二人の頭領の賠償として十万金を要求した。蔡京は娘夫婦が殺されては大変とこの要求をのみ楊騰蛟の暗殺を企てた。楊騰蛟は逃げ、このことにより裏取引が知県「蓋天錫」の知ることとなり蔡京それ以上に手出しは出来なくなってしまった。梁山泊はその後、南東の沂州を襲う。
<82回>陳麗卿が「孔亮」殺害。<84回>雲天彪が「楊春」殺害。<84回>劉隣が「白勝」殺害。
この侵攻がきっかけとなり梁山泊の対抗者として「猿臂寨」という集団が形成されていくのであった。その主要メンバーは道士の「陳希真」、娘の「陳麗卿」その婿の「祝永清」、「劉広」、その娘「劉慧娘」等であり、彼等は梁山泊配下の山である清雲山を奪いその勢力を拡大したのだった。
一方東方面の青州に雲天彪が配属となり梁山泊攻略の官軍とともに清真山を攻略していた。これに対し梁山泊は防衛のため関勝、秦明、索超を出撃させたのだが<91回>「関勝」は施刀の計により「伝玉」の流星飛錘で傷を受け病没し、「索超」も山中の雪の中「雲竜」の一斉掃射によって死ぬ。雲天彪に思わぬ敗北をした梁山泊であったが蔡京と童貫により討伐軍は遼遠征と兵を向けさせる事ができ官軍を退けさせた。
この頃朝廷は梁山泊に招安の使者を送ったのだが、宋江は招安を望んでいなかったので呉用と謀り、目障りな猿臂寨に罪を擦り付けんと使者の殺害した。しかし蓋天錫等がこの策略を見破り、結果蔡京が失脚することとなった。
怒った宋江は猿臂寨を襲ったのだが、陳希真の方術「九曜神鐘」によってあっさり退けられるのだった。九曜神鐘は鐘を中心として眠りを誘うものであり公孫勝も術を破ることは出来なかった。さらに酷いことに7頭領が捕らえられその交換として猿臂寨より80万金を強請取られたのであった。
曹州に高キュウが討伐の軍を進めていた。これを回避せんと呉用は策略を施した。ちょうど「高衙内」に知府として赴任してきたので、復讐に燃える林冲に襲わせたのだった。林冲は彼を捕らえると料理して食した。これに高キュウは怒り曹州でなく蒙陰を攻め計略により大敗をしてしまう。高キュウは雲天彪に救援を求め、これに猿臂寨が応じ梁山泊は退却する。これにより猿臂寨は招安を受けることとなったのであった。
<99回>「薛永」は「沙志仁」に槍で刺され、「穆春」は「哈蘭生」の同人に腰を打たれ死亡。
曹州を官軍の「金成英」が攻めた。しかしここを守るのは「董平」であった。金成英は董平を倒さぬ限り曹州は奪えぬと悟り、彼を罵倒し城から誘き出した。<102回>董平は右に「韋揚隠」左に金成英と二将を相手にしていたが流石に支えきれず刺し殺されてしまう。かくして梁山泊は曹州を失ったのだった。「郭成」、「焦挺」処刑される。
あい続く敗戦に再起をきして宋江は蒙陰へ兵を出し3城を陥れた。しかしまともや猿臂寨がやってきて奪い返されてしまう。3人の頭領を捕らえられてしまったので梁山泊は返還の代金として40万金を猿臂寨にゆすり取られてしまうのだった。<104回>「キョウ旺」「丁得孫」は陳麗卿によって槍にて刺し殺される。
猿臂寨に手も足も出ない梁山泊であったが、ここに九曜神鐘を破る術を持って公孫勝が戻ってきた。鐘の破戒に成功したものの公孫勝はしょせん陳希真の敵ではなく、あっさり方術に破れ梁山泊軍は退却する。<107回>「鄒淵」「鄒潤」爆死。<108回>「孫新」真祥麟によって殺害。
猿臂寨は梁山泊に内通者を送り込む策により兌州を奪還。宋江はこれに対し蔡京をもって陳希真を都に呼び寄せ殺害する計画を立てるも失敗し、蔡京は処刑されてしまう。
この戦いで宋江は陳麗卿に目を射られてしまう。
<109回>「周通」劉慧娘の毒にて死亡。<110回>「楊雄」真大義により射殺。「顧大嫂」陳麗卿の槍にて刺殺。「孫立」ラン廷玉に捕縛。「解珍」ラン廷芳に斬り殺される。「解宝」祝万年に射殺。「石秀」真大義に捕縛。「楽和」王天覇に真っ二つ。「杜興」范成竜に捕縛。<110回>「時遷」康捷に捕縛。
長くなったので次回に続く。
作品192
方臘は本拠地の清渓城を梁山泊に奪われ洞口に逃れた。
残った将方杰は強かったが柴進が潜入していたので油断したところを槍で刺し、燕青が斬り殺してしまったのだった。かくして方臘軍は殲滅し、方臘は単身逃げたのだった。
にしても方杰の強さが目立ちます。やはりこれはこの位強くしないと柴進の活躍が意味をなさなくなるてめでしょうなあ。ここで武将たちが簡単に殺してしまっては柴進が危険を冒して潜入した意味がなくなるというものです。柴進で人を殺めたのはもしかしてこれが初めてなんじゃ。戦争は人格を変えるものですなあ。
今回も蕩寇志のあらすじの続きをご紹介します。
あまりにも簡略化してしまったのでやりすぎたかなという気持ちがありますが、このサイトは蕩寇志の解説の為のものではないのでやはりこのまま参りましょう。
そのかわり梁山泊の者がどうなったかを重点的にしています。
本を読みながら書いているので紹介もれの頭領がいるかもしれませんがご容赦のほどお願いたします。
省略した新主人公は清廉潔白な正義の人ということで理解していただければいいでしょう。その能力は多分梁山泊の好漢の1.5倍といったところです。
みんな出来杉君で生徒会の集まりといった感じです。従ってほとんど戦死者は出ず、完全勝利になっています。蕩寇志はいわば生徒会の能力高めの連中が不良グループを面白いように打ちのめすそんな話となっています。
では続きです。
梁山泊は連敗続きで支配地も少しずつ失いつつあったが、この時まだ兵力は42万、食糧も3年分持ていた。
清真山の奪還を目指すが雲天彪の前に敗退する。<112回>「楊志」李成から背中を槍で刺され死亡。<113回>「呂方」雲竜に捕縛。「孔明」欧陽寿通に鞭で殺害される。
官軍にやられぱなしの梁山泊であったが、ここで反撃のチャンスが訪れた。徐寧が連れてきた山賊の頭領がヨーロッパから来た技術者「白瓦爾罕」を紹介したのであった。
この西洋人は最新式戦車「奔雷車」を梁山泊にもららし、この220両の戦車によって梁山泊は勢力を盛り返し雲天彪は窮地にたった。丁度そのころ猿臂寨側も軍師の劉慧娘が病に倒れ梁山泊は優位な立場となった。
死の淵にあった劉慧娘はなんとか病が治り、雲天彪の救援にかけつけ河の平原にて戦車をうち破る策を立てたのだった。彼女の用いたものは「飛天神雷」という兵器であった。
弱点をつかれた戦車は大破し再び官軍有利に戻ったのであった。
戦車隊を全滅させたとはいえ白瓦爾罕が賊にいては問題であると考えた劉慧娘は計略をもって彼を捕らえた。そうして白瓦爾罕により「火鏡」という鏡を使い遠くのものを焼くく兵器を猿臂寨は手に入れたのだった。<117回>「陳達」風会に二合で斬り殺される。
梁山泊は泰安を攻め公孫勝の三大法と呉用の秘策にて猿臂寨側をうち破る。しかしこのご梁山泊の攻勢はぴたりと止む。猿臂寨側は呉用の計略を警戒していたが実はこの時激務による心労から呉用が病気になっており、彼の知略に頼りきっていた梁山泊は波間を彷徨う船のごとくなっていたのであった。
梁山泊では廬俊義が山寨を守備したいた。そのお膝元のウン城県に新しく「徐塊」なる知県が赴任し、彼は梁山泊討伐を志し城を強固なものに造り替えた。そして反間の計を用い廬俊義に秦明を疑わせるのに成功したのだった。<119回>潔白を晴らすため秦明は敵陣に単身向かうも「任森」と「顔樹徳」によって斬り殺された。
徐塊は梁山泊が山賊が住み以前の風景画を手に入れこれをもとに地図を作成し梁山泊攻略に乗りだした。剣山を登り洞窟を抜け内部に潜入すると梁山泊の第一関を占拠したのであった。<121回>「童猛」李宗湯に水中に切り落とされる。「童威」韋揚隠の長槍で腹を刺される。
この事態の宋江は慌てて呉用を呼び戻そうとしたが呉用は病から精神が錯乱状態にあり完全に回復していなかった。その上彼の治療にあたっていた安道全が病気になってしまい。
<122回>他の医者の忠告を聞かずに自分の治療法に固執したので悪化させ死んでしまった。やっと呉用は病をおして山寨に戻ったが事態は好転しなかった。
山寨は四方を官軍に囲まれ、第二関を攻め立てられた宋江はあわて始めた。
都では張叔夜が指揮の梁山泊討伐軍が起こされた。
この事態に呉用は「童貫」を使って妨害を謀り、皇帝は童貫の言葉を信じ梁山泊討伐軍を方臘討伐に切り替えさせた。しかし童貫の悪事が暴露され彼は失脚する。
秦安3城は梁山泊防衛の要所でありここを猿臂寨は攻めていた。<124回>「李逵」唐猛、召忻、高梁に左腕の筋肉を断ち切られ捕縛。「楊林」ラン廷玉の飛錘を顔面に受け脳漿を飛び散らせ死亡。<125回>新秦には「花栄」が守備をしており猿臂寨の陳麗卿が弓による一対一の勝負を挑んできた。勝負は所詮は賊の花栄は力及ばず彼女に腹を射抜かれた死亡したのだった。こうして猿臂寨は白瓦爾罕の「火鏡」によって城内に火をつけ混乱に乗じて新秦を得た。「欧鵬」はラン廷玉、「穆弘」は高宋、「黄信」は陳麗卿、「李俊」は唐猛に捕縛される。
要所の一つ新秦を失ったことで呉用は徐塊の拠点であるウン城を攻めることにした。ところが城は改修し強化してあったのでこれを地雷にて爆破させんと凌辰、石勇を潜入させた。<126回>しかし計画は失敗に終わったのだった。「石勇」捕まる。「凌辰」は追いつめられ地下道で爆死する。逆に官軍側はこれを成功したとみせかけ賊に被害を与える。
「鄭天寿」門の下敷きになって死亡。「燕順」李宗湯に捕縛。
雲天彪が3倍の兵力で莱蕪を攻めた。<127回>「宋万」哈睨生の矢を喉に受け死亡。「杜遷」免以信に刺殺。「史進」流星鎚が馬に当たり落馬したところを捕縛。「劉唐」龍毅によって足を切られ捕縛。梁山泊は水軍を投入し反撃を試みるも官軍は潜水艦を登場させ攻撃は激しく梁山泊は敗退し10万の兵を失った。さらに官軍は秦安に進軍したのでやもうえず宋江は要所である地を放棄した。<128回>「曹正」李成の槍を喉に受け死亡。「李忠」李成により馬から落とされ捕縛。「阮小二」雲竜に左腕を切り落とされ捕縛。「阮小五」網にて捕縛。「阮小七」欧陽寿通に右手を折られ捕縛。「孟康」伝玉に槍で殺害。「陶宗旺」聞達に一刀両断。「鮑旭」劉麟に捕縛。「朱武」雲竜に捕縛。「施恩」唐猛に斬り殺される。「武松」は退却において数々の武将と連戦し最後は発松山にて岩に座しカッと目を見開き大往生をとげた。
またまた続く。
作品193
方臘との戦いも最後となった。梁山泊軍は完全に方臘軍を駆逐したのだが肝心の方臘が見あたらなかった。方臘は単身逃げていたのであった。方臘は逃亡のの途中、お腹が空いて一件の家で食事に与ろうとしたところ松の木から男が飛び出てきて彼を捕らえたのだった。この男こそ包道乙との戦いにおいて行方不明になっていた魯智深だった。
かくして方臘との戦いは終わり梁山泊の組織は解散するのであった。
それにしても魯智深は良いとこ取りですなあ。羅漢さんから背の高い男を捕らえよと言われたけど、背が高いて位の特徴だったら他にも来そうな感じだけど。人が来ないほど山の中てわけですか。
蕩寇志の解説今回で終わります。しつこいと思われるかもしれませんが、これでもかなり要約しています。原作詳細に読むとさらに不機嫌になっちゃうかもしれません。解説の文章がぶち切れなのは本を読みながらメモったものをそのまま書いているためです。もう一度かみ砕いてならしてしまうと文章になるのですがご容赦のほどを。
要所を奪われれ呉用は酒癖の悪い顔樹徳に目をつけ徐塊に反間の計をかけるも見破られた。呉用は徐塊が山寨の第二関に偽って逃れる計略を立てたと読みこれを逆手に官軍を撃破ろうとしたが、失敗し官軍は関を占拠した。
<129回>「項充」は劉麒の刀に頭を吹き飛ばされ。「李袞」は真祥麟槍でで穴だらけになって死亡。「李立」任森に捕縛。
いっぽう猿臂寨は濮州へ軍を進めていた。ここを守るのは林冲であった。<130回>
猿臂寨には美人の陳麗卿がいたので「王英」は色情を抱いて出撃し、彼女に右関節を外され七つの穴を開けられて死亡。怒った「コ三娘」亭主の仇と陳麗卿に戦いを挑み、女と女の激しい戦いが繰り広げられ三娘は首を絞められ死亡。「?飛」ラン廷玉に刺し殺される。
「馬隣」ラン廷芳に振り向いたところを首を斬り落とされる。「張順」兄を助けようとして苟桓に捕縛。「張横」捕らえられた弟を助けようとしたが苟桓に捕縛。
猿臂寨に攻撃を防ぎきれず濮州は官軍の手に落ち林冲は単身梁山泊に逃れたのだった。
嘉祥では呼延灼が城を改修し強固なものにして守っていた。そこに雲天彪率いる官軍が攻めてきた。劉慧娘は計略をたて梁山泊の旗を利用し呼延灼を攪乱し城を奪ったのだった。
<131回>「韓韜」伝玉に心臓を貫かれ死亡。「彭キ」畢応元により射殺。「宣賛」哈蘭生に捕縛。「カク思文」沙志仁に肩を刺され捕縛。「単廷珪」聞達に捕縛。「魏定国」聞達に右腿を切られ捕縛。
嘉祥の奪還に失敗し呼延灼は梁山に帰った。かくして梁山泊は全ての支配地を無くした。
士気が落ちているのを悟った呉用は九天玄女の霊験を演出し官軍を押し返し第二関を回復。しかし猿臂寨も雲天彪とともに梁山泊に軍を進めこれを完全に包囲したのだった。
ちょうどそのころ都では佞臣の一斉処刑が行われ。高キュウは滄州に流された。
方臘討伐を終了させた張叔夜が帰還すると屈強な軍は梁山泊討伐へと乗りだしたのだった。
<132回>「徐寧」任森と相打ちになって(喉を刺され)死亡。
張叔夜がやってきたので呉用は林冲、呼延灼、張清に兵を与え反撃を試みる。
<133回>「林冲」と王進の戦いは互いに譲らず互角の展開であったが、王進が「互いに同じ境遇ながらこの様な差がでたのは自身の見識のなさにある」と罵倒すると林冲は減免蒼白になり失神し、気力がなくなり床で死んでしまった。 「朱富」王進に胸を刺され死亡。第二関への官軍の攻勢は強く「李雲」は?宗弼に首を切り落とされ、「呼延灼」は辛従忠の飛標を喉に受け死亡した。
官軍は後関に密かに兵を進める計画を立てた。潜水艦の登場となったわけだが、ここを守っていたのは<134回>「李応」だった。雲天彪の奇襲に応戦したが首を落とされ死亡。「侯健」も聞達に斬り殺される。丁度そのころ前関では「張清」が戦っており何度も飛礫を投げるもかわされ続け石も底をつき陶震霆の槍を首に受け戦死し、「湯隆」は王進に刺し殺され第二関は陥落した。
梁山泊の防衛は第三関のみとなっていた。<135回>相次ぐ戦いで「魯智深」は気が狂い負傷しながら戦ったあと忠義堂内を破壊し倒れるとそのまま亡くなってしまった。
猿臂寨の陳希真は公孫勝の生年月日を入手し追魂摂魄の方術を彼にかけた。公孫勝は目眩を起こし魂が遊離して抜け殻になってしまった。朱仝は左腿を切られ?宗弼に捕縛。「雷横」張応雷の銅劉に左手を絡み取られて捕縛。「樊瑞」は陳希真によって方術を封じらて捕縛。
かくして第三関は陥落した。
呉用はここで梁山泊の終焉をさとり戴宗を誘い神行法で脱出した。山寨では三関を突破されいよいよ最後の状態であった。後関では呉用の去るのを見て「燕青」は怪しんだが<136回>敵が迫ってきたので弩で応戦したが寿通の鉄鞭を頭に受け脳漿を飛び散らす。「孫二娘」は陳麗卿に腿を刺され捕縛。「張青」は連れが捕まり動揺しているところを祝永清に捕縛。東関は陥落した。「段景住」は龍毅に捕縛。右関も陥落。
「蔡慶」金成英に槍で殺害。「蔡福」楊騰蛟の斧で殺される。廬俊義は二人の将を相手に一歩もひるまなかったが右肩を矢で射抜かれ忠熊に捕縛される。「柴進」蓋天錫に捕縛。
「裴宣」王進に捕縛。「蒋敬」は雲竜に切り捨てられた。「皇甫端」は陳麗卿の馬に見惚れているところを劉広に首を落とされる。「宋清」は父のあとを追って井戸に身投げ。
「蕭譲」と「金大堅」が捕縛され石碑について尋問を受けると二人は白状した。
それによるとあの石碑は自分たちが作成したものであり。当時宋江と廬俊義は地位争いをしていたので呉用と公孫勝の策謀によって作られたものとのことであった。董平が5虎将でありながら序列が低いのは石碑は廬俊義が来たときから掘り初めともので15位と16位が埋まっておらず。ここに董平と張清をいれたもの。孫立は本来この位置に刻まれるものであった。ことを自白した。
さて逃げた呉用と戴宗であったが官軍には戴宗より早い「康捷」なるものがいて追いつき二人を捕縛した。
こうして官軍は宋江を除く全ての頭領は退治されたのだが、肝心の首領を探せずにいた。
宋江は逃亡をしていたのだが河で船頭に怪しまれる。船頭は名前を聞き出そうと「殺すぞ」と演技したので宋江は怯え、かつて名前を名乗ったことから命を救われたことを思い出し名乗ったのだった。こうして二人は宋江と確信し捕まえた。宋江が改めて二人の名前を尋ねると「賈忠」と「賈義」と答えが返ってきたので、彼は「私は仮忠と仮義によって死ぬのか」とため息をついた。
あらすじ終わり。
作品194
征方臘は終わったのでこれより征田虎といこう。
この田虎では新しい仲間が加わってくることになり、なかなかの強者揃いである。
梁山泊軍が外国遼との戦いを終えて凱旋すると、河北の田虎が謀反を起こし五府五十六県を占領しているとの情報がもたらされた。天子はいたく心配され群臣に相談すると宿元景が梁山泊軍にその討伐を向かわせることを提案した。かくして梁山泊軍は遼とぼ激戦の後再び期待を担って陳橋駅を発ったのだった。
源武県に到着すると田虎軍の攻勢が激しく二県が囲まれていたので宋江は廬俊義に騎兵一万と歩兵五百を与え陵州を攻めさせた。敵将董澄は体格に優れ三十斤のはつ風刀を得物とし朱仝と互角の腕を持っていた。しかし花栄の弓に射殺され陵州は陥落した。この時敵将の「耿恭」が投降してきた。
人を見境無く殺す李逵は城に踏み込むと手当たり次第に切りまくっていた。ところが廬俊義が住民に手を出すなと制すると、なんと直に応じたのだった。これはどうしたことだろうか、李逵がそんなに物わかりが良い人物になってしまうとは。あるいは動物的勘で廬俊義を怒らせたらとんでもないことになることを本能的に感じたからなのであろうか。ともかく止まらない李逵は以外と従順であった。
*管理者が多忙な上に風邪をひいてしまったので解説は今回は蕩寇志の主人公についてご紹介だけいたします。
この文面は内田追夢訳「蕩寇志」より抜粋です。
張ケイ仲 字は叔夜。経略大将軍。張公と呼ばれる。
張伯奮 張ケイ仲の長子。双錘を使う。
張仲熊 張ケイ仲の次男。双刀を使う。
賀太平 済南府検討使。外見は悪いは高潔の士。
雲天彪 景陽鎮総監。青龍堰月刀の使い手。
陳希真 字は道士。もと東京南管里の提轄。
劉広 もと沂州東城防御。刀の使い手。
伝玉 ラン廷玉の弟子。雲天彪の片腕。飛錘を使う。
祝永清 祝朝奉の弟。玉山、玉朗と呼ばれる。
陳麗卿 希真の娘。女飛衛と呼ばれ弓と槍の達人。
雲竜 天彪の息子。青龍堰月刀を使う。
劉慧娘 女諸葛と呼ばれ知謀の持ち主。
金成英 曹州武解元。知勇兼備の槍の使い手。
蓋天錫 ウン城県知県。蓋青天と呼ばれる高潔の士。
トウ宋弼 滄州都監。双剣の使い手。
辛従忠 東光都監。蛇矛の使い手。
張応雷 開州府総制。銅劉の使い手。
陶震霆 広平府総監。双錘の使い手。
風会 青州都監。大?刀の使い手。
苟桓 猿臂寨の頭領。
楊騰蛟 南旺営の義士。開山大斧の使い手。
畢応元 青州の押獄。高潔な知恵者。
祝万年 祝永清の兄。刀を使う。
ホウ毅 未だ衰えぬ老将。大?刀を使う。
哈蘭生 帰化庄の団錬で大金持ち。銅人を使う。
劉麒 劉広の長子。三尖両刃の刀を使う。
韋揚隠 浪々の身の槍の使い手。
李宗湯 韋揚隠の弟子。弓の名手。
ラン廷玉 鉄棒の使い手。孫立の旧友。
聞達 博山県の提轄。大刀の使い手。
真祥麟 猿臂寨の頭領。槍の使い手。
范成竜 猿臂寨の頭領。矛の使い手。
ラン廷芳 ラン廷玉の弟子。二本の剛刀の使い手。
劉麟 劉広の次男。弾弓を使う。
欧陽寿通 馬径鎮の提轄。水軍を扱える。
孔厚 孔子の末裔で沂州の孔目。名医。
王進 元八十万禁軍頭領。蛇矛の使い手。
唐猛 高平山に住む衙内。堰月銅劉を使う。
康捷 中候将軍。一日千二百里を走る。
陳念義 天台山中に住む仙人。徐和の師匠。
徐和 鉅野高平山に隠棲する知者。
徐塊 徐和の従兄弟。ウン城県知県となり奮戦す。
招忻 招家村の主人。溜金党を使う。
劉永錫 寧陵剣甘露嶺に住む仙人。
任森 東京に住む知謀兼備の大金持ち。槍を使う。
顔樹徳 大?刀の使い手。酒が好きな豪傑。
張鳴珂 捕盗巡政。蓋天錫の親友。
汪恭人 ウン城県に住む才徳兼備の未亡人。
徐青娘 徐和の姪。その知謀で徐塊を助ける。
李成 青州都監。槍の使い手。
苟英 苟桓の弟。
王天覇 ラン廷玉の義兄弟。八十斤の筆達を使う。
賈夫人 鎮撫将軍彬才気換発の夫人。
魯紹和 青州太守。天彪の親友。
梁横 曹州の都監。
魏輔梁 ?州甑山に隠棲する知者。
真大義 真祥麟の一族。刀の使い手。
以上は主人公達ですが、全体的に正義の金太郎飴状態で特徴がないのが特徴。
人間的に特徴があるのが陳麗卿と顔樹徳二人であり。前者は腕に自信があって高慢なわがまま娘であり、親の権力をかさにきるので仲間が関係に苦しむことがある。後者は酒に身を滅ぼすタイプである。
作品195
梁山泊軍は耿恭の帰順により高平県を落とし、属県を失い孤立した蓋州攻略でせんとしていた。いよいよ田虎の支配地五州のち最初の拠点蓋州攻めとなったのであった。この後軍は宋江側主力と廬俊義側に分かれて敵本拠地威勝目出して進軍するのであるがまずはその始まりがこの州といえる。
田虎、王慶の戦いの特徴は背後の拠点の防衛がしっかりしていることが挙げられる。背後連絡線は血管みたいなものである。航空機や戦艦、空母は自らに燃料、弾薬、食糧を搭載し戦闘するので背後連絡線は意識する必要はないが、地上戦の場合戦闘地と基地をつなぐものが背後連絡線というものが必要になる。この線を通じて前戦は燃料、弾薬、食糧、兵補充、衛生支援、整備支援をうけることが出来るのである。人体で言えば血管を止められると末端細胞は壊死してしまうといったものである。
この作戦線の維持こそ前戦を維持する要であり、この連絡線が敵に遮断されるといきなりピンチになってしまうのである。ロードオブザリングで万の軍勢が押し寄せてくるシーンがあるが、これだけの大軍団になると大規模な輸送が背後で行われていると考えていいだろう。
というわけで田虎、王慶ではちゃんとした防衛ラインを画いてあるのだが、遼や方臘ではこういった軍事上の配慮は一切ない。梁山泊軍が攻め落とした城は勝手に宋軍がちゃんとサポートしているようで他人まかせの感じがある。これは施耐庵が軍事的な素養がないことに起因しているようである。田虎、王慶は地図を見ながら進軍過程を追いかけると以外と面白いのかもしれない。
蕩寇志を長々と紹介したのでうんざりとされたことでしょう。しかし梁山泊が犯罪者集団であることを理解するのには貴重な作品といえます。主人公=良い人でついつい捉えてしまうので真反対に馴染みの人物が悪人と表現されると抵抗があるものです。それをあえて強引に裁いてしまうので水滸ファンに反感をもたれてもしょうがないことです。犯罪者集団を主人公にしたさい、読者に受け入れ安い理由によって粉飾されます。例えば主人公は悪人だが国家はもっと悪人であり、これに反対することが正義の証みたいなものになっていきます。
こういった傾向は欺瞞といえます。蕩寇志の態度は正しく犯罪者は他の犯罪者を裁いたところで自己の犯罪の正当化にはならないということです。ゆえに容赦なく梁山泊は打ち据えられたというわけです。物語中、梁山泊のみならず蔡京や童貫、高キュウまで退けられたことは理想の姿であり、盗賊手段も佞臣も退けられたというわけです。
しかし蕩寇志の主張は正しいとしても、どこか綺麗すぎてマネキンの舞台芸みたいです。生身の人間のようではないのですね。そもそも匪賊というのは犯罪集団ですが、これが支持を受けると政治集団化し王朝を転覆させるほどの規模になります。ここまで成長しなかった集団は一時的に地域の猛威を振るうが消滅してしまうし、そうでない場合は国軍に吸収され国家機関の一部となっていきます。
犯罪者集団と政治集団の境が曖昧模糊としているのです。馬賊系の匪賊張作霖を梁山泊の論調で裁いてしまうのも変です。なんというか「タリバン」は犯罪者集団なのか政治集団なのかみたいな問いになるわけです。そんなわけで蕩寇志の視点のような単純なもので社会が善悪に分別できるのかななか難しいのです。中国は善悪混合した世界のように見えるのです。
蕩寇志の作品は加筆修正されたレオナルドダビンチの「最後の晩餐」みたいのものです。ダビンチの構図の意図も理解出来ず、ユダが同じ向きに座るのは誤りと判断して(当時裏切り者のユダは他の使徒と区別して反対側に画いた)対面に後ろ向きにして画き直すようなものです。まあ中にはそれで良しという評論家もいるかもしれませんが。
蕩寇志が梁山泊を行為が盗賊なので許せないというのであれば、遠征し国内外の平安をもたらす義賊を前提にした108人までの集合したストーリーを踏襲せずに、一から書き直し山賊どもが集まり悪さをし人々を困らせ大集団となり官軍がこれを征伐するお話を作成すべきでしょう。実は宋江が奥さんを殺した場面などは、ハッキリとした悪意を画いた方がすっきりするし、宋江の性格がはっきりしたものとなり梁山泊の恐怖の支配体制が実感を伴ったものとなるのでしょう。
水滸伝は人々がいじくり回して作成されたもですから、施耐庵の水滸伝に固執することはないのではないのです。たとえば董平を今度は林冲に替わりミスター梁山泊とし36人のキャラを改編し、新たな72人をこれに追加して本当に悪党集団を作ればいいのです。
そうせずに物語の前半部分を拝借し後半に百八十度転換した物語を画くというのは、結局梁山泊の義賊という面を作者が心の隅に残し認めながら画いているからに他なりません。
つまり蕩寇志は義賊の水滸伝のリバースとしてのものであり、その従来の水滸伝の存在を前提にしたいるため依存性が高すぎる作品なのです。
蕩寇志の作者兪万春は水滸伝の忠義は欺瞞であり、この様な犯罪集団が賞賛されるのは誤りでありこれを正さなくてならないとしています。そして物語を画いたわけです。
しかし彼が述べるように施耐庵は梁山泊をこの上もなく理想の主人公達として画いているのかと言えば「否」と答えざるをえないでしょう。施耐庵は兪万春が思ったようなヒーロとして画かなかったのです。彼が画いたのはあくまでも犯罪者集団としての梁山泊であり蕩寇志のよううな高潔な主人公を目指していなかったのです。つまり通常もっと悪い悪徳政治家を退治して自分の正当性を証明するような筋書きを選択しなかったのです。
では施耐庵は梁山泊をどの様な集団として捉えていたかは次回ということにいたしましょう。
作品196
梁山泊軍は蓋州の支城であった二県(高平、陵川)を押さえいよいよ進軍した。史進と穆弘は高平に、柴進と李応は陵川の守備に配置される。背後に根拠地である衛州を守備するのは関勝、呼延灼、公孫勝、水軍団であった。攻略地の蓋州を守る敵は「鈕文忠」であった。彼の配下には猛将四名。さらに偏将十六名がいた。
蓋州では孫立、花栄、秦明らの野戦にて敵を敗退させるも、城に籠もられてしまう。攻城戦いの兵器も登場させて攻撃をしたが2ヶ月落とすことはできなかった。そこで呉用がとった計略は夜通しで休まず攻撃をしかけ、敵を疲れさせ援軍が来たと誤認させ時遷と石秀を城内に潜入させ火の手を上げ、内外呼応して城を攻め取るものであった。鈕文忠は城に敵が侵入したと知るや、北門から脱出したものの魯智深によって頭をうち砕かれ死亡した。かくして梁山泊軍は蓋州を得たのだった。
蕩寇志の作者兪万春の主張をもって梁山泊の生の姿というものを追ってまいりました。梁山泊は悪党達で行為は賞賛されるべきでないという真っ当な論理だったわけです。梁山泊の主張は国家という権力者に反旗を掲げることにより正当性が備わるものになっています。しかしこういう見解は誤りで、悪党を懲らしめても悪党は悪党なのです。まして悪事をした者達がまともな者として国家に帰順して賞賛を得るなどとは許し難く忠疑心は欺瞞でしかないのです。兪万春は不良共が賞賛されることに不満をもち蕩寇志を書いたわけですが、水滸伝を題材にしたところをみると分かっていてもファンだったというのが実状なのではないでしょうか。
ところで水滸伝作者の施耐庵は梁山泊の好漢達を手放しで賞賛していたのでしょうか。それは「否」と言わざるをえません。施耐庵は梁山泊の面々を犯罪者として扱っているのです。犯罪者として画いていないとするならばそれ以前の水滸伝がそれに該当するでしょう。例えば以前解説138で紹介した水滸伝形成の中期作品「大宋宣和遺事」では宋江は九天玄女の天書を手に入れ三十六人の仲間がいる事を知り、定めとして宋江を大将として「忠義」を行い悪を滅ぼすとなっています。ところがその後仲間が揃うと州や県を襲い、放火殺人、女や財宝を奪ったのでした。この事態に朝廷も為す術もなく張叔夜を通じ宋江を招安させました。かくして梁山泊は帰順し三路の盗賊は平定され、方臘との戦いにも功績があり宋江は節度使に出世したのでした。
このお話でも明らかなように梁山泊の面々は山賊らしく犯罪行為をしており、全くの悪党なのです。しかも女神様からこうなるのですよと教えられたいるのにもかかわらず悪事三昧。どうなっているのでしょうか。そしてこういう悪事をしたのにもかかわらず最後は節度使になるなど出世しています。もっとも悪事をしたからこそ朝廷が対処に困って抱き込んだのだからこれは必要だったのかもしれません。その後は官軍の手先になって同じような悪党を退治するのですからどういった倫理観になっているのでしょうか。大宋宣和遺事の水滸伝は万々歳のハッピーエンドの物語のようです。悪事をした男達という視点は微塵にも感じられません。
このことから施耐庵が招安路線を引いたのでもなく、「忠義」の宋江にしたのも彼で無いこととご理解できるでしょう。蕩寇志の作者兪万春が施耐庵を宋江を忠義の人に画いていないと非難していますが、それはもともとがそういう流れの作品であり施耐庵はその伝統に従っただけといえます。
兪万春は梁山泊に変わる真の忠義の好漢を登場させました。そして梁山泊を偽の忠義とし裁いたのです。同様に施耐庵もなんらかの忠義人の理想がありました。施耐庵はどういう英雄を望んだのか。それは解説110で述べた「文曲星」包拯と「武曲星」狄青です。
それまでなかった梁山泊の面々に星の名前を追加したのも彼等への思い入れの結果だったといえます。そのことは水滸伝の冒頭で名君(皇帝)と優れた臣下の政事により中華世界に平安がもたらされたととを歌い上げていることから分かります。そして梁山泊の面々がそういった真に英雄でないことを承知していたのです。
では施耐庵は梁山泊の好漢をどういう目で見ていたのか。時間的制約を受けているのでそのことについては次回解説いたしましょう。
作品197
蓋州を攻め落とした梁山泊軍はいよいよ本格的に田虎支配地に攻め込むことになった。それは軍を二手に分け東西双方から攻め上がり敵本拠地勝州に迫るというものだった。二つの軍の拠点となるのが新しく手に入れた蓋州でありこの地を守るのが花栄、董平、施恩、杜興達であった。くじの結果東から攻めるのは宋江、西から攻めるのは廬俊義となりこれ以降それぞれの戦いは始まるのだった。
正先鋒宋江に配属は呉用、林冲、索超、徐寧、張清、魯智深、武松、李逵等であり。前衛1万、中軍3万、後衛1万の編成となった。副先鋒廬俊義に配属は朱武、秦明、楊志、黄信、宣賛、雷横、韓韜等で全軍5万であった。
蓋州は「緊要地形」のようだ。緊要地形は敵が奪えば敵が有利になり味方が奪えば味方が有利になる地形のことだが、ここを押さえたことにより梁山泊は田虎に二手に別れ進軍できるようになった。背後の拠点衛州の防衛も万全であり蓋州と衛州関のルートま守られている。かくして二本の「接近経路」が画かれることとなるのであった。
水滸伝設立中期のおける物語には、彼等が悪行三昧の所業をしたのに関わらずハッピーエンドで締めくくられており作者には兪万春が非難したことがそのまま当てはまるものとなっています。つまり山賊が英雄になり節度使まで出世するというもので「忠義」を唱え、神様の守護もあり幸せな最後を終えるというものです。
後期施耐庵水滸伝においては、その色合いは少し灰色がかったものと改編されています。物語に新たに付け加えたのは異民族との攻防。36人の特徴を残たまま設定を変え、72人を追加し異民族との戦いを見据えたキャラクターを作り上げたのでした。
彼は36人の伝承されたキャラクターをどう見ていたのでしょうか。それは封じ込められるべき「魔物」としていたのです。仁宗皇帝時代、天の玉帝は二つの星を使わせました。それが「文曲星」包拯と「武曲星」狄青でして、二人の忠心をもって天下に平安がもたらされたのでした。水滸伝では「天下太平であり五穀は豊かに実り、民は業を楽しみ、道に落ちたものを拾うものなく、夜も戸を閉ざすものもなかった」と記載さてています。名君と賢臣の働きがあって安寧をもたらされるものだとし、「真の忠心とは何かと」その有り様を述べています。これが施耐庵の理想とする臣下の姿といえます。
ところが打って変わって108人の登場は「文曲星」と「武曲星」の煌びやかさとは違いどす黒いものになっています。最初の登場からして封じ込められた魔物というまがまがしいものになっています。水滸伝を読まれた読者は108人が集合した時彼等が解き放された魔物であると分かり違和感がなかったでしょうか。悪徳政治家や行政官と戦う彼等がどうして魔物なのであろうか。彼等は悪いことをしていない、こんな被害者が魔物だなんて納得できないと思われたのではないでしょうか。
でも施耐庵は彼等を魔物と規定しているのです。どんなに悪徳の者に虐げられて逃れ山に集まり反抗しようとも彼等の有り様は魔物であることを。それ故でしょうか、首魁の宋江は毒黒く精彩のない風貌であり英雄、賢臣に似つかわしくない人物です。
四十三回において宋江は九天玄女から彼等の素性を知らされます。彼等の正体は天上の神々(星)であり、魔心を持っているので地上に落とされているということでした。つまり「文曲星」と「武曲星」と同じ星ながら、自己の悪癖により魔物と化しているというものです。
そこで玉帝から命じられたのが国家に忠義を尽くし魔心を退け天界に復帰せよというものでした。包拯と狄青が真の臣下としての有り様を示したように、彼等にも宗国に忠義をもって平安をもたらせとしたわけです。
魔物である彼等にとって忠義とは負損なことで自由勝手に好き放題に悪事をするのが性行なのですが無理矢理宋江は仲間をそちらに導いていきます。不良共を率いてぶつくさ言う仲間をだましだましボランティア活動に従事させるようなものと言っていいでしょう。
この様に施耐庵は伝統的36人を「悪」として画いているという訳です。従いまして兪万春が非難するような108人を賞賛するように物語を画いたというのではないのです。冒頭彼等は魔物であるということをハッキリ宣言しているのです。つまり108人は退治されるべき存在なのであり悔い改めないと地獄に落とされる者達なのでした。
ここの所を理解せず水滸伝を読んでしまうと最後の結末も納得出来ないか不満が残る者となるでしょう。施耐庵はダークな英雄の物語を書きたかっのでして、主人公はあくまでも悪党というのがその姿なのでした。
作品198
宋江が率いる五万の兵は東のルートを北上し次の目的地昭徳へ向かった。しかしそこに至るためには難所の壺関を突破しなくてはならなかった。この要所には「山士奇」以下8人の将が3万の兵をもって守備をしておりおいそれとは通過出来そうもなかったのである。この山士奇は四十斤の渾鉄の棒を得物としており武芸全般に精通する強者であった。
梁山泊軍と田虎軍は壺関で対峙し、梁山泊からは林冲、田虎側からは山士奇が飛び出してきて戦い合った。両者は五十合あまり打ち合ったが勝負はつかず、山士奇は林冲は密かに感嘆したほどの猛者であった。田虎の将竺敬が参戦すると梁山泊軍からは張清が出撃し、飛礫で撃退した。
両軍騎兵どうしの戦いは、林冲は伍粛を矛で刺し殺し、索超は呉成を斧で真っ二つにした。田虎軍は敗退し関に閉じこもり山士奇は威勝の田虎に援軍を求めた。
一方梁山泊軍は関を攻めあぐんでいたのだがそこに衛州の守備にあたっていた関勝から書面が届いた。それによると関勝と義兄弟の間柄の「唐斌」は勇敢実直な人物で今は田虎の軍門に下っているが、もともと梁山泊入山を願った者で宋朝に帰順したがっているとのことであった。そこで宋江は呉用と謀り唐斌とその仲間「文仲容」「崔埜」を関に送り込み山士奇を欺き関を占拠したのであった。
壺関は壺関山と抱犢山の間にある関所らしい。抱犢山は「唐斌」「文仲容」「崔埜」が山賊家業をしていた山で壺関山と峰続きである。
壺関山は山が壺の形をしているらしい。とすると空に突き出たようにノッポの山があるのであろうか。それとも頂上が平らになった丸い山があるのか、カルデラ形状なのかまったくわからない。
施耐庵が梁山泊の面々をどの様な立場の者として画いたのかを述べてみました。それは108人を賞賛出来るような存在でないというものでした。その証拠が初期設定が魔性のものとして登場させているところにあります。
普通こういう物語の始まりならば正義の好漢が登場し放された魔物達を退治して平和がもたらされるという話の流れになるはずなのですが違います。
ヒーローものならば神の軍団で地上に降り立ち悪徳役人を退治して大宋国に平安をもたらすというお話でもいいものですが、そうはしてません。やはり梁山泊の存在がそんなものではないという考えに基づいているのでしょう。
もともと伝承された36人は施耐庵の時代でもそのイメージは悪党達であったのでしょう。残念なことに村々や町を襲う姿が本体の彼等のありかたなのです。
そこで施耐庵は108人に過酷な運命を与えています。それは天下国家の為に働かなかったら地獄に落とされるというものでした。つまり招安に応じることもなく好き勝手に山賊家業を営んでいたら今度は封じ込まれるどころか地獄行きと成るわけです。山賊という梁山泊の本来の姿を完全否定しているのです。
招安に応じるときもアジトは整理して去って悪事から足を洗わせられてしまいます。山賊などという野暮な商売はやめて国軍として喝采を受ける働きをしようと組織を脱皮させています。
梁山泊軍は治安活動において華々しい活躍を見せるのですがハッピーエンドで終わりません。ここで施耐庵は中期水滸伝ではハッピーエンドで終わったものを悲劇で終わらせています。
おそらくは、作者は人々が梁山泊のメンバーを豪傑とか好漢と賞賛しているものの行動は不良の集団であり彼等がなんの懲罰も受けないということに違和感を持ったことでしょう。悪人には因果応報の輪廻を与えたわけです。
というわけで終盤においてはばっさばっさと好漢が死亡していくとなるわけです。こういうところに彼等が死ななくてはならない一つの理由があるのです。
作品199
東から田虎本拠地に攻め上る東軍は難所の壺関を突破し、いよいよ昭徳に迫っていた。要所の壺関は孫立、朱仝、燕順等が田虎軍に代わり守ることになった。宋江本陣はさらに北に進み、昭徳の南十里に陣地を構えた。いよいよ昭徳攻略の火蓋は切られるのだった。
これに対し田虎側も指をくわえて待っていた訳ではなかった。魔法使いの喬道清と猛者の孫安が名乗り出て防衛に向かったのだった。
田虎で登場する将はかなり高スペックのものが多く、これが後に梁山泊軍に編入されてしまうのでこの状態で方臘と対戦したら以外と被害が少なかったかもしれない。彼等は王慶の戦いにて散ってしまうが、地サツの連中より頼りになる人々だった。
この解説では施耐庵は彼等が犯罪者集団であり存在してはならないものであると捉えていると紹介しました。権力者や富裕者に反逆する不良が大衆に好まれる傾向にあるため、犯罪者が美化され物語となります。つまり「義賊化」というものです。こうして英雄化し伝承されたものは内部に矛盾を抱えたまま悪という魅力をもった作品に仕上がって行きます。水滸伝もそういったものの一つであり、さらに中国では匪賊が政治に取り込まれ正当化することも日常茶飯事なので、彼等が招安に応じる展開は受け入れやすいことになります。伝承された水滸伝はこういった流れから最後は招安に応じ大出世となって終わるのですが施耐庵はそれを許しませんでした。。
施耐庵は犯罪者である彼等には名誉を与えはしましたが相応の償いを方臘編でさせています。偽物の英雄であり封印されるほどねじ曲がった集団であるとの見解のもと過酷な運命を与えたのです。
こういう見解からでしょうか、首魁である宋江の設定が英雄とはほど遠い軟弱なチビで色黒の男に設定されています。とどめが暗殺されるとき四姦に廬俊義の方が本物の英雄だからと評されています。このように施耐庵における宋江は英雄としては画かれていません。管理者は英雄ぽい宋江も見てみたいし、その方が物語がスジが見えやすいような気がします。
兪万春は施耐庵を忠義を画いていないと非難しており、この文面は悪党の行為を忠義としていることに対する不満でした。なんども述べるようにこれは誤解で不良共に、忠義を強いたというのが実状です。自己中の連中に忠義の旗のもと社会奉仕をさせたといったところです。
蕩寇志と水滸伝の犯罪者にたいする見解の相違は刑犯罪における処罰の方法と同種の論議みたいなものでしょう。
すなわち蕩寇志は犯罪者はその罪に従い極刑をもって処するという立場です。つまり社会的不適合者は粛正をもって処し、これにより同種の犯罪の発生を防ごうというものです。これに対し水滸伝は犯罪者の更正を主眼としており、犯罪者の行動を国家なりの社会に奉仕させることをもってその意を正し社会に復帰させようとしているのです。
梁山泊には殺人者が多いので今でいうと死刑論議みたいなものです。
水滸伝において108人そろっていますが、内情はバラバラの仲間です。宋江一人で全員繋がっているようなものでいつ分裂し此処の犯罪者集団の戻ってしまうるか分からないような状態にあります。この様なもの者たちを忠義の鎖で繋ぎ替天の旗のもと社会に貢献出来るような集団に転じ社会復帰(天界復帰)を試みたのでした。
彼等に与えられたミッションは本来、禁軍が行うべき仕事である外敵を退け、反乱者を鎮めるといったものでした。これらは本来禁軍の仕事であるが機能不全のために、やくざ集団が此を行うというおかしなものですが。すなわちこれが賛天行道というもなのです。
蕩寇志の犯罪者を許すべきでない主張も確かにその通りですが、施耐庵のように社会復帰をさせるというのも一理あります。どちらが犯罪者の物語として良いのかなかなか難しいことです。厳しさではどちらも同じようなものです。
水滸伝では梁山泊の軍に社会復帰をさせていますが彼等に万々歳で終わらせていません。李逵の最後でみられるように社会に混乱をもたらすものは消えていただいているのです。冷徹に考えれば梁山泊の様な面々の罪を許したとしてもすぐ犯罪に走りそうなのでこの後始末は正解ともいえます。だから宋江は李逵を毒殺したのでした。
施耐庵水滸伝の作りは込み入っていて。
禁軍弱体による異民族の侵入、国内の匪賊や反乱軍に対し批判的で国防、治安の弱体化の象徴たる高キュウを登場させその問題点を提起し。これに対抗し不良集団による軍団を創出し禁軍に替わって治安維持の仕事をさせています。ですから禁軍以上の軍団になったところで敵役としての高キュウの役割は終了しています。
これが基本の流れで、これに伝承された犯罪者集団としての彼等をどう取り扱うかということで、もとももとあった招安の流れから国防について尽力し、これにより彼等の社会復帰させています。しかしその行為のみで罪を許しはぜす命は失ったが名誉を授かったということで彼等の有り様に決着をつけています。
さらにこれに別の要素が加わって、なかなかスジが読みとれないものとなっています。
作品200
田虎は昭徳を守らんと魔法使いを繰り出してきた。「喬道清」は水の魔法使いであった。
八歳にして槍・棒を使いこなし(史進より凄くないか)、幻術を授けられ風を呼び雨を呼び、雲に登ることができた(こっちの方が入雲竜ぽいな)。
人は彼を幻魔君と呼ぶ。
彼が安定州に行った頃、日照り続きなのでこのような掲示があった。
「雨を降らせたものは賞金三千貫」
そこで彼は壇に登り編めを降らせたのだった。ところでこの地には不良の書生「何才」がいた。この男は出納吏をそそのかし彼の賞金を着服したのであった。
これに激怒した喬道清は拳骨で役人を打ちのめし殺害してしまったのだった。以降罪人として追われる身となり田虎が反乱を起こすと国師となった。
*200作品目でなにか書きたがったが、多忙につき省略
作品201
田虎から喬道清という魔法使いが登場し宋江等は苦戦した。魔法よってあたり一面水浸しになり危機一髪の状態になったのだった。その場は土地神の助力により救われたが打つ手なし。そこに壷関の守備をしていた樊瑞が救援に駆けつけ両者の魔法対決が始まるのであった。
施耐庵は決して36人を賞賛されるものとして捉えていなかったことを説明いたしました。
主人公は悪党で本当ははた迷惑な存在なのですが、他に国権を利用して悪事をする悪党がいるとその存在はは義賊になってしまいます。
こうして物語の主人公になってしまうと、その存在は善なるものとして錯覚してしまうのです。
ゆえに施耐庵は彼らを魔物であると物語の最初に紹介したのでした。
そこで水滸伝の主人公達犯罪を大雑把に覗いてみることにいたしましょう。
犯罪といっても各種分類があるでしょうから日本の刑法に従って追ってみます。
普通殺人罪 (ほとんどがこれに該当)
尊属殺人罪 ( 宋江、楊雄)
殺人予備罪
傷害罪 (天台にて魯智深)
傷害致死罪 (肉屋の鄭に対し魯智深)
傷害現場助成罪
単純暴行罪 (孔亮に対する武松、薛永に対する穆弘穆春)
過失傷害罪
過失致死罪 (雷横、楊志)
業務上過失致死傷罪 (朱仝)
自己堕胎罪 (該当者なし、もしかしたら扈三娘が該当したりして)
同意堕胎罪
不同意堕胎罪
不同意堕胎致死傷罪
一般遺棄罪
保護責任者遺棄罪
尊属遺棄罪
遺棄による致死罪
単純脅迫罪 (脅迫は常套手段なもので)
強要罪 (安道全に対し張順)
未成年者誘取罪
営利猥褻結婚を目的とした略取または誘拐 (王英、周通、董平)
近親の憂慮に乗ずる営利誘拐
国外移送を目的とした拐取罪
国外移送を目的とした人身売買
強姦罪 (何故かいない、好漢は性については清いのだ)
強制猥褻罪 (扈三娘に対し王英未遂。性犯罪では王英は貴重な存在)
名誉毀損罪
死者の名誉毀損罪
信用毀損罪
業務妨害罪 (蒋忠に対し武松)
住居侵入罪 (索超の家に時遷)
不退去罪
信書開披罪 (呉用)
秘密漏洩罪 (晁蓋逮捕の報を知った宋江)
窃盗罪 (山賊さんのお仕事)
不動産侵奪罪 (敵役の殷天錫)
既遂罪
親族相盗例
強盗罪 (生辰綱の晁蓋以下7名、山賊さんみんな)
事後強盗罪
昏酔強盗罪 (朱貴、李立)
強盗致死傷罪(宋江には未遂だったけど張横)
強盗強姦罪 (山賊だからありそうだが書いてない)
詐欺罪 (盧俊義に対し呉用)
恐喝罪 (これも山賊必須)
背任罪 (戴宗)
単純横領罪 (好漢は何故か無縁)
業務上横領罪(同上)
占有離脱物横領罪
賍物種収受罪
公文書毀棄罪 (戴宗)
私文書毀棄罪
建造物船舶損壊罪 (梁山泊水軍でしました)
器物損壊傷害罪
境界票損壊罪
信書隠匿罪
騒擾罪
多衆不解散罪
現住建造物等放火罪 (北京大名府で時遷)
放火未遂罪
失火罪
業務上失火罪 (林冲)
鎮火妨害罪
ガス電気遮断致死傷罪
建造物等浸害罪
水防妨害罪
溢水危険罪
水利妨害罪
往来妨害罪 (山賊さんのお仕事)
往来妨害致死傷罪 (未遂だけど楊志に対する林冲)
往来危険罪
浄水汚穢罪
水道汚穢罪
浄水毒物混入罪 (こういうひどい事は何故かしてない)
水道破壊罪
阿片輸入製造罪
阿片煙吸食罪
詔書等偽造罪
公文書偽造罪 (蕭譲、金大堅)
公務員の虚偽記載罪
公務員うを利用する不実記載罪
偽文書偽造罪
私文書偽造罪
医師の無形偽造罪
有価証券の偽造変造虚偽記入罪
偽造等の有価証券行使交付輸入罪
御璽、国璽、御名の偽造不正使用罪
公務所公務員の印章の偽造不正使用 (柴進が東京でやった。)
公務所の記号不正使用罪 (服=記号ということで宿元景の服を宋江等)
国内偽造の偽造行使罪 (そういえば梁山泊なんで偽造通貨を製造していないのか銀がなかったから?)
外国通貨の偽造行使罪 (遼か西夏の通貨となるのか)
偽造通貨取得後知情行使交付罪
偽造通貨の収得罪
偽造通貨の準備罪
公然猥褻行為罪 (山賊なので本当はあるはずだけど、好漢は淡白)
猥褻物に関する罪 (蕭譲は描けるのかな)
淫行勧誘罪 (好漢なのでない。なんか修道士だな)
重婚罪
通常賭博罪 (阮小七)
常習賭博罪 (多分みんなやっていると思う)
賭博開帳罪 (顧大嫂、施恩)
富くじに関する罪
礼拝所に対する不敬罪 (魯智深)
説教、礼拝を妨害する罪 (石秀)
墳墓発掘罪 (時遷)
死体等を損壊する等の罪
墳墓発掘死体等損壊罪
変死者埋葬罪
ここら辺から国家の恐ろしさ発揮。
内乱罪 (宋江は否定しているが、田虎、王慶、方臘と同じ扱いにされている)
未遂、予備、陰謀罪
内乱幇助罪
外患誘致罪 (忠義の水滸伝ではあり得ない罪、ただし北方水滸伝は違う)
外患援助罪 (同上)
外国の国旗に対する罪
私戦の予備、陰謀罪 (まあ遼まで強行軍も可能だったが、そのころ山賊家業なので)
局外中立命令違背罪
公務執行妨害罪
職務強要罪
封印破棄罪
強制執行不正免脱罪 (なんかあったような)
競売入札妨害罪
単純逃走罪 (盧俊義)
加重逃走罪 (武松)
被拘禁者奪取罪 (燕青、孫立、楽和、顧大嫂、鄒淵、鄒潤、
逃走援助罪 (柴進、花栄、張青、孫二娘)
看守逃走援助罪 (戴宗)
証憑湮滅罪
証人威迫罪
一般公務員の職権乱用罪 (敵役はこれ)
特別公務員の暴行凌虐罪(同上)
単純収賄罪 (中国では罪の意識はありません)
受託収賄罪 (蔡慶、蔡福)
事前事後収賄罪
斡旋収賄罪
贈賄罪 (中華世界では当たり前)
以上思いつくまま述べたが、山賊のくせに妙に潔白なのが面白い。これが施耐庵の真の山賊と
梁山泊の違いなのであろう。
ここに作者の思想を感じる事ができる。しかしこう列挙してみると梁山泊が悪党なのは確かだ。
作品202
喬道清と樊瑞との魔法使い同士の一騎打ちは喬道清に軍配があがった。毎度の事ながら樊瑞は毎度いいところがなく可哀想。ここで登場が公孫勝。一条の光とともにやって来て軽く喬道清をうち破ってしまったのであった。この人がかつて晁蓋に強盗を誘いに来た方とは思えませんなあ。ご立派になられて。
伝承された悪党共を使って英雄物語を演じさせたのが水滸伝なのですが、悪人なるがゆえに贖いを強いられるという設定になっています。
ここの所は注意深く読まないと見落としやすいのですが、彼等がやくざな連中であることを分かった上で導き出した施耐庵の結論というものでしょう。
その最後は残酷な結果に終わるですが、これについて公孫勝ファンの方々は彼が居なかったからこうなったという言われるのですが、その様な筋合いのものではなく悪党は消えてもらったというだけのことなのです。公孫勝がいようがいまいが関係ないのです。
そもそもが水滸伝のメンバーは更正が出来て、再び社会に順応出来るのでしょうか。なかなか難しいのではないでしょうか。仮にハッピーエンドで終わっても再び混乱の渦に巻き込まれて仕舞いそうです。
その点は施耐庵も理解していて李逵毒殺の主因がこのことにあります。
伝承された36人はやくざ者から国家の英雄に転じて物語りを終わるという筋書きで、栄誉を受けたままこの世から去ってしまいます。
更正といえば江戸時代にも犯罪者を減少させるために刑罰でない方法を用いたというものがあります。それは「人足寄場」といわれる更正施設です。あまりに有名なのであああれかと思われることでしょうが、ご容赦。
管理者もこんな時代にこんな施設あったのかと驚かされたと言うわけで、江戸時代てなん平和でよさそうなんて思っちゃいます。
飢饉で江戸に流入した無宿人の軽犯罪者を収容し生活指導や職業訓練を施し犯罪防止を行ったというからすごい。しかも労働には賃金が支払われ強制預金されたあと出所したとき返したというもの。
まあ、従来型の犯罪者を懲らしめるというやり方ではだめだったということでしょうか。飢饉なんかで発生し食えなくなった連中が都市部に流れ込み犯罪者に転落するといった構造であり、それを捕らえても捕らえてもきりがなくしょうがないので犯罪者を作り出さないという方向に考え方が代わっていったのでしょう。
職業訓練なんかをするだなんて従来の懲罰の発想でないことはよくわかります。
現代においては犯罪者を懲らしめるということを目的としておらず、刑を執行するぞと不安がらせるようなことをし反省させ更正させるというような手段を講じています。
ゆえに捕まっても窃盗、詐欺、横領程度のものだと検察に送られなかったり、不起訴になったりしています。
禁固刑がなかったりしたら、3年以下の懲役禁固は執行猶予や保護観察処分が言い渡され、猶予期間に無事経過すると刑が言い渡されないという有り難いものとなってもいます。
というわけで水滸伝もこの様な思想と同様の発想にて犯罪者集団を更正し英雄豪傑の軍団に作り変えようとしたといえます。
施耐庵が理想としたのが「文曲星」包拯と「武曲星」狄青のような英雄像だったのでしょう、梁山泊軍は遼を退け、方臘を鎮圧しその実績は彼等に並ぶものとなりました。ここに単なる無法者の一団は英雄になれたといえるのかもしれません。
作品203
shiori*2 基盤
魔法使いの喬道清と強者の孫安が宋朝に寝返り田虎側の人材は一枚叉一枚と剥がれてゆく。その少し前、田虎側は喬道清等がうち破られるとの報をうけ新たな将を前戦に送り出した。それは戴宗より早く走れ妖術が使え、投げる武器がつかえる優れもの武将「馬霊」。もう一人は女将で飛礫技もさることながら武芸にも優れている「瓊英」であった。歳のころは十六の容姿は花の如くとある。
両親の最後を知り復讐の燃える瓊英。夢の中神人が現れ武術の手ほどきを受けることになる。この夢の中で張清に武芸の手ほどきをうけやがて結ばれる関係であることを知るのであった。
日テレの水滸伝は日本が作った水滸伝テレビドラマの最初で最後の作品で、一部の水滸伝ファンにはお気に入りの作品でしょう。特にオープニングの梁山泊の面々が疾走するシーンはわくわくしてしまいます。セットから衣装まで新たに新調しまあお金がかかった事でしょう。テーマ曲の(人生はしれたものさうまくいっても)の歌詞はちょいと無常感を誘います。
ところでこの後衣装等を利用して西遊記が始まるのですが、三蔵法師に女性を使ったためか大人気。一般的に此方が有名でしょう。ゴダイゴのガンダーラが思わず頭に響いてまいります。もっとも西遊記はそれ以前にアニメの「悟空の大冒険」なんかあってそれ以前から人気があったのですが。管理者などは悟空の大冒険が先だったので本当の西遊記を読んだら逆につまらなく思ったものです。昨今でいけばドラゴンボールもこの範疇にはいるのかもしれませんが。
中国の古典文学の日本における人気度を述べてみるとこんな感じなのではないでしょうか。
西遊記>三国志>水滸伝
というわけで今回は大人気の西遊記についてちょいとお話いたしましょう。西遊記は有名過ぎるのでその内容の解説はいたしません。孫悟空が誰から術を習ったかとか、最後はみんな死んでしまうとか既にご存じのこととして判断いたします。
西遊記の研究ではメンバーが五元素の相関関係を見事に表現しているなど、奇抜なアイデアによる解説なんかがあってけっこう楽しいのですが。ここでは中国の文学なので中国らしくうさんくさい(と言っては失礼なので堂々たる主張と訂正)けど、なんか魅力的な西遊記論を紹介しましょう。
うさんくさいと言えばこの「水滸で釣り」も十分それに該当します。ここで紹介されている考え方は論拠がやや希薄な面があるので、そうとも解釈できるといったレベルなのが実状です。もっともプロの学者にかかっても資料の少なさから断定的に結論づけることは不可能なのでその点は気楽です。今後水滸伝承の各時代の資料が登場するなら事実は判明することでしょう。
水滸で釣りは遊びで書いているので、あちらこちらに突っ込みを受けそうな穴だらけ。まあそのくらい承知で書かないとなんにもできませんが。そういえばタイトルの釣りですが
一般的に釣りてのは悪意をもったものに解釈されるのでしょうか。単純にのんびりしている表現のつもりでしたのですが。
突然占いの話になりますが、管理者は占いの資料を持っています。易、タロット、占星術、数占い、名前占いなどなど。しかし占い自体に興味はありません。何故この様なものに興味を持ったかというとその背後にある思想なるものに興味を持ったからです。
近代合理主義が登場する以前は5元素または五行や12星座、八卦などある種の型枠に事象をはめ込んで物事を解釈するのが普通でした。例えば医術などみても西洋でも東洋でも発想は同じで、悪い血を出して病気を治療するなどどちらにも存在したわけです。現代医学ではその様な発想はしません。では以前の発想は何処に残っているかというと占いなど非科学的分野に残っていると言うわけです。
こういった訳の分からぬ思惟の残像はあちらこちらに残っているわけで、例えば言語の分野においてもわざわざ品詞を女性系と男性系に使い分けるなどは、ある種の思想といえます。はっきりいって言葉にいちいち男女の区別をいれる必要性など何処にもないのです。これは一種のこだわりというものでしょう。とはいえそういう使い方をした人々は事物の性格を男女に分けて捉えるという思想があったのは確かであるといえます。
今回紹介するのは「五術占い全書」張耀文著です。簡単に述べると中国の占い書。かなり分厚いです。
しかし、この書は驚くべき事に占いでありながら大変体系だっていることです。占いと言えば一つの術易なら易だけ手相なら手相だけで何でも占うものですが、これは占いの用途によって術を変えるのです。
五術とは命、卜、相、医術、山です。
「命」は人間の宿命に主眼を置いた占い。生年月日に基づく。占い方法レベル1が「紫薇」レベル2が「子平」、レベル3が「星宗」となります。
「卜」は事件に主眼をおいた占い。時間と方位に基づきます。占いレベル1が「六壬」、レベル2が「遁甲」、レベル3が「太乙」となります。
「相」は物体の姿を主眼においた占い。形が及ぼす影響。占いレベル1が「人相」、レベル2が「陽宅」、レベル3が「風水」となります。
「医」は人間の肉体に主眼置いた方術。疾患に対する。レベル1は「方剤」、レベル2は「鍼灸」、レベル3は「霊治」となります。
「山」は人間の精神に主眼をおいたもの。レベル1が「玄典」、レベル2が「丹鼎」、レベル3は「符呪」となります。
そしてこれら全体を補足するのが「断易」です。
これをみてお分かりのように我々の想像する占いといったものでなく。人間生活全てについて総合的により良き生き方をするための術となっています。
ありとあらゆる占いのみならず医術や教理はたまた武術まで含んだ総合的な知識となっているのです。
あらためて方術は「紫薇斗数」「子平推命」「星平会海」、「断易」「六壬神課」「奇問遁甲」「太乙神数」、「印章」「性名」「金面」「玉掌」「陽宅」「風水」、「方剤」「鍼灸」、「食餌」「築基」「老子、荘子」「拳法」「符呪」となります。
これ以上書くと占いの紹介になってしまうのでここで省略いたします。あまりにも中国の総合的な方術なので説明し始めたらきりがありません。ここは西遊記の解説なのでここまで終わります。
さて西遊記はこの五術の山の部類「玄典」に含まれています。ようするに老子や荘子の思想書と同類に扱われているわけです。文学作品を思想書と何故同じなのか、それはこの一派が西遊記を経典としてみているからです。
長くなったのでこの説明は次回にいたします。
作品204
梁山泊軍の前に女将が登場した。瓊英である。するとその美貌に目がくらんだ王英が早速ちよっかいをだしたのだった。
当然スケベな男にはお返しがあるというもので、瓊英に左太股を刺され馬から転落してしまう。亭主を傷つけられて怒ったのが扈三娘、飛び出すと瓊英との一騎打ちを演じたのだった。
ところが瓊英の技に押され気味になり、これを救わんと顧大嫂がかけつけ女三人の壮絶な戦いとなったのだった。瓊英は負けたと見せかけ飛礫を投げると扈三娘の右腕に当たり、扈三娘は刀を落とし自陣に退却した。そこで瓊英は顧大嫂をしとめようとしたところ亭主の孫新がこれを防いだが飛礫の前に自陣に戻った。
そこで林冲が瓊英を倒さんと勝負を挑んだが逆に顔に飛礫を受けることになったのであった。
李逵も瓊英に戦いを挑むも、飛礫をしこたまお見舞いされていいとこなし。ただし面の皮が厚かったためか酷い怪我にはならなかったようだ。
占いの解説になってしまいましたが、張耀文の主張を展開するまえに前準備としてその出典の中身を紹介いたしました。
ここから彼のユニークな西遊記論をお話するつもりでしたが、困ったことに彼の著書が発見できないのです。何処にしまい込んだやら皆目見当がつかないのです。かといって本の山を探すのもなんか面倒です。そこまですごい論でもありませんし、常識はずれのユニークなものなので簡単なもので十分でしょう。しょうがないのでネットの文献を参考に解説を書いてゆきます。
具体例が欲しかったのですがしかたがないことでしょう。
彼の主張によれば西遊記は求道の方法を細かく画いた経典であるとしています。
つまり西遊記は妖怪面白話なのでなくその中にの密教の教義がこめられているとの見解なのです。
中国の密教は唐代末から近代まで迫害され、中国南部にて密かに伝承し「南華密教」の教義を密かに小説になかにこめたのが西遊記だというのです。
三蔵法師は精・気・神を蔵するということで「経典研究者」これら三つを求めるのがお経を取りにいくということ。
悟空は空を悟るで「功法実践者」、吾浄は浄を悟るで「寺院経営者」、悟能(八戒)は能力を悟る、八戒を守るで「戒律守持者」ことです。
化け物は求道上の魔を表しています。金角、銀角は「金銭的誘惑」、黄袍怪は「禄位の渇望」となるようです。
そして経典研究、戒律保持、寺院経営より修行の実践が大切ということで悟空が主となるわけです。
主張の具体例を紹介します。
ネットで車遅国三力大仙の話の箇所の解説が載っていたのでどんな調子か紹介します。
物語の登場人物は全て何らかの象徴であるという考えかたなのがポイントです。
三蔵一行が車遅国の通行を願い出ると虎力、鹿力、羊力の三力仙人たちが妨害します。この三人はこの国の日照りを解決したために国王の信任をうけており、これによりこの国では道教がさかんになり仏教は廃れています。
三仙は妖怪であり三蔵の肉を食したいので雨乞い、座禅比べ、千里眼で勝負をしかけてきました。しかし悟空の計略で競い合い妖怪は全て負けてします。
それでも諦めきれない妖怪は回復の能力で勝負をしかけてきました。首切り、腹裂き、茹で釜の試合を挑んできましたが悟空はなんなく勝利し三仙を退治してしまうのでした。この三仙の正体は虎、鹿、羊の物の怪だったのでした。
この妖怪退治の話ですがこれらは次のことを意味しています。
「虎」とは権勢を意味します。経典研究者は権威を得る機会が訪れ、それを得んとする誘惑に駆られる。首なしが示すように権勢の誘惑に負けると首なし、つまり自分を失ってしまいます。
「鹿」とは禄位のことで、禄位を手にしたいという欲望が起こります。しかし腹わたのない鹿のごとく、それにしがみつくことは良心を失うこととなります。
「羊」は名声のことで、権勢と禄位は失っても元の自分に戻れるが名声はそうはいかない。
これらに惑わされない方法は「止観」しかないということです。
良く調べたら金兜山の話もあったのでついでに紹介します。
金兜山の近くで悟空は三蔵達に「如意圏」から出ないように告げ食糧を取りに出かけます。
しかし残った三人は悟空のいいつけを聞かずに外に出て妖怪に捕まってしまいます。悟空が独角大王と戦いますが金剛琢で如意棒をとられしまいます。悟空は太上老君の青い牛が行方不明になっていることを知り一緒に芭蕉扇を持って金兜山に向かいます。太上老君が一扇ぎすると妖怪は青い牛にもどり、そのまま連れて戻りました。
この話の意味することはこの様になります。
「牛」は頑固で柔軟さがなくなったもの
「青い牛」は未熟さ
「青い牛の妖怪」は修行の過程で未熟さゆえに固執し柔軟性がなくなってしまうこと。
「如意圏」とは思い通りになる。この範囲であれば安全であるということ。
「金剛琢」は絶対的な真理
「芭蕉扇」考え方を変えること。
「太上老君」は老子、荘子などの思想。
如意つまり思い通りの範囲であれば魔の入ることはないが、思い通りにならなくなると魔にとらわれてしまう。
青い牛で表される未熟な修行者は柔軟性がなく頑迷で、天兵であろうと羅漢であろうと、彼の持つ絶対的真理の武器に吸い取られ囚われた頑固さを切り崩すことは出来ません。
そこでこれにどう対応すればいいかというと本来の無為自然な老荘思想に立ち返り(芭蕉扇)肩の力を抜いてやりればいいのです。
とまあ、こんな感じの論なんですね。
本を発掘出来ないので簡単な紹介で終わりましたが、西遊記をこういう発想で読むのも案外面白いものであると思います。
作品205
瓊英との戦いで梁山泊軍は解珍解宝が捕らえられ魯智深は行方不明になっていた。するとそこに田虎の将葉清が現れたのだった。彼は田虎に恨みをはらすべくやってきたのであり、ウ梨が毒矢に当たって病に伏しているので医者を城内に招き入れることが出来ると教えたのだった。呉用は神人の予言を思い出し田虎を捕らえるには瓊英の協力が必要で有ることに気が付き安道全と張清を送り込ませたのだった。
西遊記についての一風変わった論をご紹介したのですが、西遊記を修行の教本とみるとはなかなか面白いことです。こういった論を切り捨てられないというのも、神話における密儀なんかがおとぎ話のようで実は象徴主義でもって宇宙創造、再生を表しているという傾向があるのでついつい注目してしまうからでしょう。
宗教学的な発想といえますが、だからといって張耀文の論が正当であるとは言えません。あるとするなら多くの西遊記のうち、ある西遊記がそれであったといった具合でしょう。
それは西遊記も水滸伝同様に長い年月をかけ多くの人の手によって完成されたからです。
その歴史は解説137にて簡単に紹介しましたが、ここで再び簡単にご案内しましょう。
西遊記の始まりは玄奘三蔵の旅行記「大唐西域記」と言われています。仏教の学習の為インドに陸路で向かった旅行記なのですが、途中不可解な危険な山越えなどをするので玄奘はスパイでないかと疑われているものです。当時インドに学びに行く修行僧はもちろん彼だけではなく、他にも居たのですが彼が一番有名ということです。
ここら辺は弘法が有名だが中国に居残った多くのすごい日本の僧がいたと同じようなものでしょう。ここでは西遊記の81の受難を受けて成就するという物語の骨幹は存在しません。
下って宋の時代になって神話化は進み猿と馬がお供となり、南宋時代には猿行者と馬が経典を持ち帰り昇天する物語に進化し沙悟浄の原型が登場します。
元代になって猿は斉天大聖と名乗り、猪八戒が登場し、妖怪を退治し天竺に到着する物語となっています。
水滸伝同様に途中様々の変遷のすえ明代になって今日の西遊記が完成しました。この小説化する直前の原型となったのが「西遊釈厄伝」であり、そこから様々の西遊記が誕生したという訳です。
従いまして張耀文の論を正しいものと仮定した場合ちょっと無理があり、そもそも玄奘は密教でなく法相宗であり、密教派が題材にするのでしょうか。また教えが書き込まれたのであるとするならどの段階で改編されたのかはっきりさせる必要があります。
多くの西遊記のうち世徳堂100回本がそれであるとするなら、確かに成り立ちはしますが。
とはいえこの論はなかなか魅力的で捨てがたいところもあるのも事実です。
作品206
神人の予言し従い、瓊英等を味方につけようと張清と安道全が敵地に潜入。医術の力にて敵内部に入り込むことができた。ここで瓊英は張清を見て、夢の中で逢った人にそっくりなのに驚き、戦いを挑んできた。張清は瓊英の投げる飛礫を軽く受け止めると、さらに飛んできた飛礫に対してぶつけ神業を披露した。これで瓊英は張清が自分の伴侶になる人であることを悟り二人は結婚をするのであった。
ここの部分は水滸伝では珍しいことで恋愛ものとなっており印象深いところである。
前回は張耀文の論を紹介しました。同様に変ではあるがなかなか捨てがたいものとして西洋のものをさらに紹介しとうと予定していました。しかし残念なことに記述している時間がないので次回にお話することにいたします。
それで簡単に管理者の思い出話。といっても次回に関係したものですが。
みなさん15、6才ぐらいはかなりでたらめなことをしていなかったでしょうか?かくいう管理者もかなりいいかげんなことをしていました。学業はほどほどに好き勝手に研究事のまねをしていたわけですな。この頃主にやっていたのはインド哲学。「ウパニシャッド」とか仏典なんかという訳です。
ハタヨガの定義に「ヨガとは精神作用を死滅するとこである」なんかの文章を読んで勝手に納得したりした訳です。
インド哲学は西洋の哲学と似ているようでちょっと違って全体的に認識論の世界。とくに中心に有るのは個我への問いということになるのかもしれません。西洋哲学も近代になってやっと我についてのアプローチを始めた訳なんですが、抽象論はインド人がお得意なのか古代からやっているとは大したものです。だからでしょうか仏教は宗教と言いながら態度はストア的な感じがします。
もちろん中国の老荘、儒教もつまみ食いしていたわけで、エジプトの思想として死者の書についても楽しまさせていただいていました。
こうこう書くと哲学者と思われるとしゃくなので、この頃数学と物理学も楽しんでいましたと付け加えておきましょう。
「黙示文学」というのはご存じでしょうか。ユダヤ教、キリスト教の予言書で難解な文章で書かれたものです。ダニエル書やヨハネの黙示録がこれに該当します。
この意味不明で難解な文章に魅了されていたわけですな、でも文章が幻想的なのはいいけど何を表現しているのかさっぱりわかりません。
小僧であった管理者はある日、古本屋である一冊の本を手に入れたのです。それは何故か赤と青の鉛筆で線をひかれまくって、すり切れた本でした。でもそこには黙示文学の解説が書いてあったのでした。大した著者であると感心したのですが、よーく調べてみるとかなり問題がある人物でした。
そしてこの人が次回説明する吾人なのです。
作品207
瓊英との戦いにて諸将は飛礫にて散々苦しめられたわけだが、この戦いにおいて魯智深が行方不明になっていた。宋江は大変心配し彼を捜したがついに発見にいたらなかった。
つぎに魯智深が姿を現したのはその約一ヶ月後で馬霊が逃走した時ひょっこり姿を現わしたのであった。彼は偶然馬霊とはち合わせしたので捕まえたてしまったのである。
いったい何処に魯智深はいたのだあるかというとワンダーランドにいたのであった。魯智深は瓊英を倒そうと走っていたら草むらの穴に気が付かず落ちてしまったのであった。穴に落ちたのにそこには空があった。それだけでなく家々もあり人が住んでいたのだった。
ジュールベルヌの地底世界と思いきや欲迷天というところだった。魯智深が落ちたのは因業の井戸ということで、欲の世界というまあ異次元空間に落ちちゃったのである。そんな欲の世界だからここの住人は欲で血走っているに違いない。
異次元空間から脱出できない魯智深だったがある僧侶を発見し、その助力で脱出を成功し無事仲間のところに戻る事が出来たのだった。
現実世界に戻ってみると僅かの時間だったはずが1ヶ月も経っていたので魯智深は驚くのであった。
この回は方臘編の魯智深の活躍をそのままコピーしてものだ、やはりもう一ひねり欲しいところである。
さて前回へろへろに疲れたので、短く切り上げたがその続きを。と言っても今回も気力が続くか疑問。
前回取り上げた黙示文学だけどどんなものかというと、こんな感じです。
日本聖書教会訳聖書ではエギゼル書10−9にこんな風に書いてあります。
「ケルビムの傍らに四つの輪があり、一つの輪は一人のケルビムの傍らに、他の輪を他のケルビムの傍らにあった。輪の様は光るかんらん石のようであった。その様は四つとも同じ形であたかも輪の中に輪があるようであった。その行くときは四方の何処でも行く、その行くときは回らない。ただ先頭の輪の行くところに従い、その行くときは回ることをしない。その輪縁、その幅、及び輪には、回りに目が満ちていた。その輪は四つともこれ持っていた。そのおのおののは四つの顔があった。第一の顔はケルブの顔、第二の顔は人の顔、第三は獅子の顔、第四は鷲の顔であった。
その時ケルビムは登った。ケルビムの行くとき輪もその傍らに行き、ケルビムが翼を上げて地から飛び上がるときは輪もその傍らを離れない。その立ち止まるとき輪も立ち止まり、その登り時は輪も共に登る。生き物の霊あその中にあるからである。」
とまあこんな感じなのです。
ヨハネの黙示録6章なんかはこんな風。
「子羊がその七つの封印の一つを解いた時、私が見ていると四つの生き物の一つが雷のような声で「来たれ」と呼ぶのを聞いた。そして見ていると、見よ白い馬が出てきた。そしてそれに乗っているものは弓を手にもっており、また冠を与えられて、勝利の上に勝利を得ようと出かけた。」
読まれて意味不明だと思われるのが普通です。
管理者なんかはピカソの絵を連想してしまいます。写実的なものでない「ゲルニカ」みたいな記号化したもです。
意味不明なところがまた魅力的で想像をかきたてます。
エギゼルの部分は密儀に関するものであろうから分からないというのが当たり前なのでしょう。読んでいるだけでくるくる回ってしまいそうです。
このように難解なので管理者は解説書なんかあったらいいのにな、と思っていたらありました「啓示による黙示録解説」という本。
ちょっと驚いたので買って読んでみると、こじつけがましいことが延々と書いてある、独自解釈というものでした。それによるヨハネの黙示録はイエスキリストさま万歳みたいなありふれた内容のつまんないものでした。確かにこれを抽象表現だらけにしたら黙示録みたいになりそうだと納得した次第。
これが縁となりこの著者の別の本を読んでみるとこになったのですが、「神の愛知恵」「天界とその驚異及び地獄」と読み進むうちにこの人オカルティストじゃないかと気が付きました。特に遊体離脱であの世に行ってしまうなどどう判断して良いか悩ましい限りです。
何故こんな人をご紹介するかと言えば張耀文の西遊記は独自解釈で真実と思えないがなかな捨てがたいものがあるように。
まったく同様にうさんくさいと分かっていても捨てがたいものが西洋にあるというわけです。
つまりうさんくさいけど魅力的なものは西も東にも同様にあるというわけですね。
どのくらいうさんくさいかというと彼の霊界旅行ですが完全にエジプトの死者の書をぱくりでしょうこれは。
当時死者の書を研究していたのでそう思ったのでした。チベットの死者の書は参考にしていないのは確実です。
この方は18世紀のスエーデンの人で学者?政治家?なんでも出来る人なのでなんて言ったらいいか。
列挙してみると
化学、機械工学、数学、光学、生理学、地質学、天文学、解剖学、金属学、その他
文系では哲学、神学。
学問がこの当時細分化してなかったのかかなり広範囲。
土木技師で鉱山技師。貴族議員で音楽をやり文筆活動もしている。
趣味として時計作り、宝石加工、機械道具作り、箪笥作り、発明(潜水艦、機関銃、機械舟)
語学として、オランダ語、英語、フランス語、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語。
彼の名前は「イマヌエル・スエデンボルグ」。
カントなんかは批判していたくせに逢いたがっていた有名人。
うさんくさいとはいえその著「天界の秘義」はすごいです。
ここでついにダウンまた次回。
作品208
いよいよ田虎の戦いも終わりにさしかかってきた。有能な将が次々に投降し本拠地の威勝では金への亡命を模索していた。右丞相太師は徹底抗戦を主張し両者の間で田虎は威板挟みになっていた。そこの葉清が戻ってきて抗戦を主張。これに同調するように都督である茫権が田虎自らが出陣するれば志気もあがり大業を成し遂げると奏上したもだから田虎は気をよくして自ら出陣することに決したのであった。
実は茫権は梁山泊軍が強いことと、葉清より賄賂をもらっていることなどから裏切ことにしたのだった。かくして田虎は逃亡のチャンスを逸し捕縛の運命に向かってしまうのであった。
胡散臭いけど魅力的な論というので東西のものを紹介していますが。西の有名人というのでイヌマエル・スエデンボルグを只今覗いています。
彼の著作は膨大な量なので全部を紹介するなどは不可能なので代表作「天界の秘義」を題材にしてみましょう。この天界の秘義は聖書を彼独自の世界観によって解釈したものです。
ご存じのように聖書は物語ものでその違いは論語や老子と比べてみれば良くわかります。もっと近いコーランと比べればいいのかもしれません、インドのマハーバーラタみたいなものといえます。この物語色が濃いものを比喩解釈によって論説みたいに仕立てているのが天界の秘義というものです。
日本では静思社から出版されていますが1ぺージ900文字ぐらいで300ページから400ページあります。しかも全14巻という長いもので、読むだけでかなりしんどいです。それでこの本がどんな調子か具体的に解説しましょう。
聖書と言えば十戒。チャールトンヘストンが大魔人みたいに凄い技で海を真っ二つにするものですがご存じでしょうか。この映画も途中にトイレタイムがある長い作品なんです。
管理者はそうとは知らずに、観ちゃって。開いた時間の調整のつもりが随分遅くなってことがありました。この十戒でモーセが小脇に抱えているものが神との契約を書き記した石盤十戒なのです。
分からない方はレーダーズ、失われたアークでインディジョーンズが探し求めた宝を思い浮かべてください。
内容はというと聖徳太子の憲法十八条みたいなものですね。和をもって尊しとなすみたいな、理念的なものから始まって具体的なものになります。
1,一神教の宣言
2,偶像崇拝の禁止
3,神の名を唱えることの禁止
4,安息日はなにもしないこと(ぐーたらのすすめではない)
5、親を敬え
6、人殺しの禁止
7、不道徳なセックス禁止
8,盗むな
9、嘘つくな
10、他人もものを欲しがるな
とま4番までは理念が強いですが、以降は素朴な決まりてところです。
これがスエデンボルグの手にかかってしまうとこうなります。
静思社出版楊瀬芳意訳「天界の秘義」22巻より引用。かなり省略。
1,「貴方は私の顔の前に他の神をもってはならない」=>簡略化不能のためパス。
2,「あなたはあなたに像を刻んではならない」=>自己に理知から真理が考えられてはならないことを意味する。
3,「神の名をみだらに呼んではならない」=>信仰の真理と善を汚してはならないの意味。
4,「安息日を憶えてそれを清くしなさい」=>安息日は神的なものそれ自身と神的な人間なものの結合を意味する。清くしなさいとは何者にも侵されないということ。
5,「貴方の父と母を敬いなさい」=>父は善であり母は真理であり。善と真理への愛を表す。
6,「貴方は殺してはならない」=>何人から霊的な生命を取り去らないことを、また信仰と仁慈を消滅させないことを、同じく隣人を憎まないことを意味する。
7,「貴方は姦淫を行ってはならない」=>信仰と仁慈との教義に属している事柄を歪めてはならないことを意味し、かくして聖言は悪と誤謬とを確認するために用いられてはならなことを、叉秩序の法則を覆してはならないことを意味する。
8,「貴方は盗んではならない」=>何人からもその霊的な善を取り去ってはならない、主に属しているものは自己に帰してはならないことを意味する。
9,「貴方は、あなたの隣人に向かって偽証をしてはならない」=>善が悪と呼ばれてはならない、真理も誤謬と呼ばれてはならない。悪も善と呼ばれてはならず、誤謬も真理と呼ばれてはならない。
10,「貴方は隣人の家を貪ってはならない」=>自己と世への愛を警戒しなくてはならない。悪が意志の元になって現れることのないように警戒しなくてはならない。
この様に解釈されるのです。
簡略化したので意味が分からないでしょうが、その雰囲気は分かってもらえたことでしょう。一般的な殺すな、盗むなでもこの様に解釈するのです。本当はこの十戒部分より幕屋の神殿の部分が何倍も面白いのですが。ここでは詳細に説明は出来ないので諦めました。幕屋の部分は図面を文字で記したようなつまんないものですが、彼の手にかかると単なるテントでなくなってしまうのです。
実際のところ彼の論は凄いのですが、これが真実であると言うのは問題があります。
というのもそもそも聖書てのはバラバラの作品で、例えば創世記などは文字の使い方から2ないし3グループによって作成されたという研究結果があったりして複数の思惟のもと形をなしたといっていいでしょう。ゆえに一貫した思想体系なるものがあることは難しく天界の秘義は聖書をつかった自己の思想の表現といったものが実体であると思えます。それがたまたま聖書であったというわけで、これが古事記だったとしてももの凄い論理を展開した神学論を展開するであろうと思われます。
作品209
田虎軍はいよいよ最後の反撃に出た。卞祥に精鋭3万を与え廬俊義軍にあたらさせ、戻学度には同じく3万で関勝軍にあたらせた。そして田虎自らは10万をもって出陣したのだった。
卞祥は田虎きっての上将で両腕は強く武芸に精通していた。彼に従うには十名の諸将であった。卞祥は進軍したが花栄、林冲、董平、史進待ち伏せにあい多くの将を失った。ここで彼は花栄、董平、史進三人を相手にして奮戦し引き分けにおわると両軍は陣を十里隔てて向かい合わせたのだった。
卞祥は綿山に陣を構え花栄等と対峙していたが、進軍してきた廬俊義軍に山の背後から襲いかかられ前後に挟み撃ちに格好となり支えきれずに廬俊義に捕らえられてしまったのであった。
ちょいと堅い話で恐縮ですが。
現在の私たちの世界は何の世界かと言うと合理の世界です。
つまり全ての現象は偶然の産物でなく必然的普遍的法則のもとにあり論理的必然性のもとに存在するものであるとの信仰です。物事を自我と対象物に分け対象物を合理的な分析のもと普遍的な法則を見いだそうとするといったらいいのでしょう。
もうちょっと補足説明すると知覚から受領した感覚知覚が展開をみせるためには精神活動を必要とする。このとき精神は対象に対し受動的か能動的に働きかけ精神作用の形式の中に統合作用をもたらしそこに根本原理を見いだそうとします。明証的認識により論理的に導きだされたものが真の認識となるわけです。精神の持つ能力により演繹的に統合し統一性をもたらすといったものです。
つまり現象を原理に基づき判断し論理性を欠く結論を排除し、さらには独断性を避けるのが合理というものです。分かりやすく言うと合理性を重視し迷信を排除するといったほうがいいのでしょうか。(血液型性格判断はナンセンスといったもの)
この合理主義により論理的、計量的世界が構築され、まあ便利な社会が到来したというわけですが、やはり当然非合理的なものは廃れることとなりました。
この非合理的で迷信に満ちたものはある種の魅力をもっており、本当は人間の思惟パターンのうち人類が保持していた期間が長いのがこの考え方なのでした。
「ハレ」と「ケ」をご存じでしょうか。
ハレとは非日常(祭り、儀礼)、ケとは日常のことです。
ハレでは「晴れ着」や「晴れ舞台」で知られており、他の分類ではケガレも存在します。
これは日本人独特の世界の捉え方といっていいでしょう。ハレとケ、ケガレの世界を作り出しているのですが、これがなんともいえず味わいをだしているのですね。
例えば正月は単なる1月1日なのですが年の再生として神社にいっちゃうとなんかうきうきしちゃうのです。これは非日常の儀礼たいする憧れといったものなのでしょうか。
単に「ケ」の概念が染みついていると考えるべきなのでしょうか。
というわけで非日常空間が現実に存在するのであり、その存在場所は心の中といえます。
私たちは一方で合理的な判断をし、一方では非合理的なものを採用しているようです。
作品210
梁山泊を迎え撃つべく田虎は10万率出撃した。ここで双方ぶつかって大激戦となるはずだが、田虎には王慶の李助のような参謀は存在せず、数の優位も生かせることもなかった。新しく仲間になった孫安は双剣で切りまくり、馬霊は得意の風火の二輪で疾走し武器を投げ無人の野を行くかのように陣を切り裂いた。
さらに魯智深、劉唐、鮑旭、項充、李袞によってずたずたに切り裂かれて田虎軍は解体してしまったのだった。
魯智深、劉唐はいるもののややマイナーメンバーにこうもらやられてしまうとは本当に弱い。田虎の最大の失策は忠誠心の高く能力があるものを採用しなかったところにあるといえる。
合理的に世界を捉えるやり方と違う非合理的なもの(例えば「ハレ」「ケ」)を持っているということを紹介しました。こういったものはもっと分かりやすく説明すると、「聖地」と言ったものがあげられます。これって単なる場所です。どうってことありません。例えばユダヤ教なんかで登場するシナイ山ですが聖地だとしていますが単なる不毛の山だし、エルサレムも同様。日本だったら伊勢神宮に出雲大社といったところでしょうか。これらを神聖な場所ととらえるのはそこには普通と違った聖なる空間が存在すると信じているからです。
こういった者の世界観は「聖」なるものと「俗」なるものが存在するという二元的捉え方となります。これはカオスに対するコスモスの二極的なもので、カオスの中にコスモスがうち立てられられるのです。
カオスからコスモスの誕生を良く知られている例からのべるとオリンポス十二神なんかがこれに当てはまります。すわちカオスから始まり殺害を繰り返しティターンというカオスからオリンポスという秩序をうち立てた図式です。
神話の中にこういうパターンが登場するようにこの考え方は他のものでも見いだすことが出来ます。一番身近な「都市」の存在も自然のカオスにうち立てられた秩序という形式をもっています。その典型的な例が狼男ということになります。秩序の中にあって人は人となるといったわけですね。
あるいは
「俗世」という言い方も類似した概念です。こういった場合は世捨ての世界なんでしょうがその人自身は「聖」なる者たらんとしています。仏教の人のあり方を泥沼に咲く蓮の花にたとえることがあります。これも「泥沼」という俗世で「蓮」という聖なるものを咲かせようというもので超然とした姿勢ですが、これらは聖なるものを前提としています。
ここではこの「聖」なるものは尊重されるものとして存在します。一番よい例が「罰があたる」というものです。
そのものズバリ報復を受けるということなんですね。畏敬の念を持たないと痛い目に遭うとんでもないおっかない存在、それが聖なるものとなります。
面白いのが「聖」なるもをを信じている人は実は聖だと言っているものが聖ではないと十分認識しているんですな。
例えば石とか樹を祀っているのですが、これは単なる石または樹であることがよく分かっているのです。彼等にとって石や樹は聖の現れに過ぎず、石や樹が聖なるものを象徴しているとして特別視しているだけなのです。彼等が見るのは石や樹の向こうにある聖なるものといえます。これを哲学的に脚色したらプラトンのイデアとなる訳なんでしょう。
これでは「聖」は真に存在するものであり、力の源であり、現象(俗なるもの)はそれから派生した影のようなものであるといったものです。
というわけで私たちの日常にも異空間なるものが存在しているということです。
作品211
田虎率いる10万は梁山泊軍に散々に蹴散らされ、田虎は僅かな手勢をつてれ退却していた。そこに田虎軍に全羽と名乗って潜入していた張清が現れて襄垣の城内に入ることを提案した。田虎は喜びその箴言に従った。ところが城内に入ってみると突然襲いかかられ僅かに残った手勢も討ち取られ単身命がらがら田虎は難を逃れたのであった。
張清と葉清は田虎を追いかけたものの、名馬に乗る田虎には追いつくことが出来ない。
このまま田虎に逃れてしまうところであったが、行く手を阻む者が現れた。それは瓊英の母宋氏の亡霊であった。その姿に馬は驚き田虎を振り落とし、そこに張清が追いつき捕縛したのであった。かくして田虎は捕らえられ一族への血の粛清ののち田虎の乱はは平定したのであった。
田虎の乱の特徴はあまりにも投降の将が多いことか、また参謀にも恵まれなかったのが田虎の人望のなさである。梁山泊軍が現れなかったとし田虎が領土を拡大すれば王慶軍と相まみえることになる。王慶軍と黄河を挟んで対峙したときおそらくは王慶に軍配があがりそうに思えるのだがいかがであろうか。
現代人にとぼしい「聖」について解説したわけですが。聖てのはイデア的実体を前提としたものでそれが顕在化したのが聖地とか聖な物といえます。我々俗人がその象徴物をみて単なる石であると判断するのは正解ですが、その姿に根元的意味性を見いだせないところに大きな違いがあります。例えばエジプトの神の顔をみてジャッカル、鷹とかそのまま見るか否かと言った具合に。
聖というものを哲学用語を使うとなにかたいそうなもののようにきこえますが、実はもっと原始的なアニミズムの世界における実体と力といったらいいのかもしれません。自然への感謝と畏怖てのがその根底にあり、生命の誕生と死この営みの中から崇高なるものの畏敬の念が誕生したと思われます。
例えば性器をかたどった岩などを重宝がるのは男女の性交わりを通じて生命の生産を見出し、その力からでる自然の神秘の原動力を捉えようしています。そして生命の営みへの畏敬、そして豊饒への願いが他なるものとこ格差をつけて信仰の対象となったのです。
あるいは原始の時代の土母神なんかの体形などはふっくらで豊かな胸や尻をしています。まだ文明黎明期の人々の考えは生命の誕生と実りの豊饒を願う心がこのような象徴として現れるというわけです。
我々は知識の伝承により高度な思想体系を持つようになり、複雑な表現は出来るようになりました。しかしその根底にあるのは原始の時代に誕生したと思われる自然の力への畏敬の念というものであり、それは今日まで普段の考えの中に密かに残っているといえます。
同様に永劫回帰てのも知識に刻み込まれた原始の面影です。哲学でかっこつけようとする人はニーチェなんか登場させるでしょうが、ここではそんな野暮なことはしません。
ようするに自然のサイクルへの神秘といえます。
小都市が誕生する以前、人々の思い描いた思想は自然そのものの姿だったのでしょう。やはり一番注目するのは四季の変化といったものとなります。この自然の有り様が人間生活の規範となって人々の考えがまとまられていきます。インドの輪廻思想についてもその原型は洗練された転生輪廻ではなくアニミズム的生命から生命の流れみたいなものでした。手塚治虫の表現する全体に溶け込む個の生命とそれが作り出す宇宙的流れみたいなものといえます。この点管理者は手塚治虫にアニミズム臭さを感じます。
人々は四季の変化が実りに深く関係し生命の一大関心事であることを痛感し、そのなかに人の有り様をもとめます。生命は誕生し成長し実をなし滅ぶといったものでした。
生命は生まれ滅びる。この事実に加え自然現象からあらたな思想へと発展します。すなわち再び春が訪れるということです。かくして人間も死の後には再生が行われ甦るという分けです。本来この様なことはあり得ないことですが、自然から導きだした人間についての答えといえます。かくして人は自然と同様に転生を繰り返すという考えが導き出されるというわけです。この輪廻の思想は太古の東西において普及していた思想でキリスト教以前のヨーロッパにおいても輪廻の跡が見受けられます。
この自然のサイクルというものは世界誕生というもので、世界の破壊が起こり再び世界が誕生するといったものです。具体的には正月なんかこれでしょう。あるいはクリスマスのもともとがこれに該当します。これらは時間軸上で破壊、再生を繰り返しているのです。
かくして現代人はその意味はわからず原始からの思想を伝承しているのでした。
作品212
梁山泊軍は田虎を制圧し任務は終了した。そのころ都では羅センなるものが武学の講義のさい皇帝に奏上した。それは「童貫と蔡京い息子が王慶軍に破れその火の手は広がりをみせている」というものであった。皇帝はこれによって事実を知り蔡京の隠し立てに散々怒られたのだった。
その後侯蒙なる人物が「梁山泊に賞を与え王慶の反乱を鎮圧させる」ことを推薦し、皇帝はこの奏言をとりあげ宋江等に爵位を与えようした。ところが蔡京はこれに異議を唱え、まずは拡大しつつある王慶を早急に抑えしかる後に爵位を与えるべきと回奏した。これは他の四姦と謀ったもので羅センと侯蒙を向かわせ強力な王慶軍に梁山泊軍が敗退したとき一網打尽にしょうとしたのであった。
この策略に梁山泊はどうなるのか、いよいよ王慶と梁山泊の戦いは始まるのだった。
今回は四姦がメインの漫画でしたがここにきて、史実に近く蔡京が前面に出てきました。
悪党度では蔡京>童貫>楊セン>高求の順番のはずなのですが、水滸伝では高求が凄く目立っています。史実では悪党?てかんじなのだがこうも特定の人物を祭り上げるとなるとなにか疑わざるをえません。
なんで水滸伝では高求を採用したのでしょうか、本当に問題があった蔡京ですし高求なんかより楊センのほうが遙かに適任者に思えるのですが。なぜか水滸伝は楊センは逆に影が薄いのです。こんな風に不自然だと推理小説なんかでの「得するのは誰だ?」みたいに裏読みしちゃうというものです。
発想的には「竹取物語と中将姫説」みたいなもというもので、ちょっと強引だけどそれもありかなみたいなものです。これっていうのは竹取物語と中将姫説てのは竹取物語は紀貫之なんかの文人が書いたものであるという説なんですな。紀貫之は百人一首で「人はいさ心もしらずふるさとは花ぞむかしのかににほひける」と詠った人。また女のふりをして書いた「土佐日記」や「古今和歌集」なんか編纂したのです。従兄弟の紀友則などは三十六歌仙に数えられるし、まあ紀氏は文人が多いのです。
この説の着目点はかぐや姫に求婚する5人の貴人が姫に散々もて遊ばれるところにあります。ここで梅澤恵美子さんは貴人の一人車持皇子が最も酷い目に遭わされるので、実は実在の不比等を車持皇子として登場させたのだと考えたのでした。
つまり奈良時代藤原氏が政治の実権を握っており、奈良末期天皇は藤原氏の勢力を抑えるため紀氏を登用し次第に勢力を伸ばしました。しかし再び藤原氏が巻き返し紀氏は政界から姿を消すことになりました。そうして紀氏は文芸の分野で活躍するんしかなかったというもの。この説では大伴、石川、阿部、多治比、紀のいずれかが犯人とする考え方があるのですが、政界を追われて立身出家が不可能な者達が文芸の場でその仕返しをしたというものです。
このように水滸伝でも高求をこの様にクローズアップするからには作者の系図にかんらかな不利益な形で関与があった歴史があるのではと勘ぐりたくなります。水滸伝の論の中で何処に記載されていたか忘れましたが、十節度使との戦いの時なぜだか双鞭の呼延灼は韓存保に槍で戦うというものを指摘したものがありました。二人はお互いの得物をつかみ合いそのまま馬もろとも両者川に落ちそれでも殴りあったというものです。これには実際金との戦いであったことで、これを作者が採用したというものです。そうでなくては呼延灼が槍で戦うというのは可笑しすぎます。 作者は作品を編纂するにあたって身近なものを採用しているという論でした。
この様に水滸伝作者は多くのヒントを物語中に残していると言う訳です。高求に恨み持つ人一族いませんでしたかね。王なにがしてやつでもいいですが。
作品213
河北の田虎を平定した梁山泊軍は王慶の乱を鎮圧に向かった。この時梁山泊軍は遼遠征時の10万より倍の20万にふくれ上がっていた。この中身は多分田虎軍よりの投降のい兵を取り込んだためと思われる。田虎の将を取り込んだ梁山泊軍はさらに兵力を増し田虎軍に迫ってゆく。とはいえ河北から移動した梁山泊軍は強行軍に疲労し休息を必要とした。
宋江は兵を山の麓の森に休めさせ、公孫勝は風を起こし兵を涼ませた。
王慶の将劉敏はこの兵を襲おうとしたが、この動きを呼んでいた梁山泊軍は撃退したのであった。
手塚治虫といえば漫画界の巨匠ですが、彼の作品は生命の問いといったものが作品全体を覆っています。その思想的なものが如実に現れているのが「火の鳥」でしょう。もちろん他の作品でもその思想を伺い知ることができますが、やや薄い感じで火の鳥には及ばないようです。その火の鳥の中でも中心的なのが「未来編」です。この作品は火の鳥全作品の骨格となっています。残りの作品はそれからの派生といった感じです。
特徴的なのが
1,ループ構造
2,生命の無差別化(無機質から有機質まで)
といったところです。
これを書くに当たって再度漫画を確認しようとしましたが、何処にあるのか発掘困難なので数十年前の記憶を元に解説しています。
まず、ループ構造ですが時間軸がループしています。これは未来編が終了時に進化の歴史を繰り返し黎明編と続くからです。他の編はこのに作品の途中の作品となります。
この様なループ構造の世界観は四季に基づく原始の永劫回帰の思想と同一のものとなります。生成、成長、破壊サイクルで再生を繰り返すというもので火の鳥でも同様の形式をとっています。主人公は世界の終わりにあり世界は滅びようとしいます。ここで猿田博士が人工的な生命の再生をしていますが失敗に終わります。しかし自然は滅びの後に再生へと向かい世界を甦らせます。人間の力の無力さに対しそれを越えた自然の深淵な計らいも見事に表現しています。
これらは西洋的な考え方ではありません。西洋では人間は自然を支配する英知をもった存在であり、淘汰するものとして自然はあります。さらに世界は循環することなく一方通行で消滅のあとはなにもありません。自然への畏敬の念などはないわけで、火の鳥は西洋的考えかたから真っ向から反対の態度をとっています。
以前に述べたように本来人間は自然への畏敬の念や生命の再生を信じる考え方が基本で火の鳥のような世界観が本来のものといえます。
次に、手塚治虫の生命観はこれまた原始的なもので全てのものに対し生命としての尊重があります。西洋では天地創造において人間は特別に神より創られたもので他の生命とは違った生き物です。他の生物は人間の付属物としてあり人間に為に存在するものです。
これに対し火の鳥では生命は人間も他の動物も同等です。これは他の編でも現れることで虫などの生物(鳳凰編の天道虫)や、はては鉱物(復活編のロボット)にいたるまで生命として捉えています。これもアニミズム的な考え方といえます。全てに精霊を感じるといったもので、西洋の思考とは違います。特徴的なのが魂みたいなあの世とかをもったものでなく、精霊のような生命の意識としての存在として全てが宇宙となって結びついているような捉え方となっています。具体的には未来編の主人公は死とともに宇宙の生命の群に流れの中に取り込まれてしまうところにあります。この世界観には神なるものが存在せず無数の生命が大きな生命の塊となり、大きな意識となって世界を動かしているといったものです。精霊が世界に道満ちているといった原始の表現がぴったりのものです。
この考え方はインドの高度な思想、転生輪廻が形成される以前のもとの照らし合わせるとよく分かります。
ウパニシャッド第五章十節では神の道を行かなかった者は、煙から夜へ向かい月に至る。それから空虚に向かい風となり煙に霧になる。さらに雲になり雨になる。そして米麦草など食物となり食されて、精子となり母胎にいたり数々の生き物として甦る。とある。このように魂が人間にダイレクトに入るものと違い自然に一体化して様々の自然活動の中に取り込まれ巡り巡って生命として甦るといったものです。
このインドにおける輪廻説の形成段階のものは手塚治虫の世界観に似ているといえます。
ウパニシャッドにおける生命の自然の中に溶け込んでおり人間が自然の一部となっています。歌の「千の風になって」も歌詞も死んだ人間が風になると言う点ではこれに似ているかもしれません。手塚治虫はインドの物語「ブッタ」という作品を描いていますが、この作品の世界観は仏教ではなくバラモン教の古い形の世界観です。もちろん自己犠牲の考え方が仏教の前世物語のようでもありますが、やはり違います。
彼の生命への捉え方は原始の感覚といえます。
この様な理由で手塚治虫の作品には独特のようで古めかしさを感じさせるのでした。
作品214
王慶によって占領されていた魯州と襄州は梁山泊軍が進軍してくると撤退し、戦うことなく失地を回復した。次なるは宛州は土地が肥え広いので敵が兵を増員して、守られては容易にうち破ることが困難なことになるので呉用の判断により早急にこの地を抑えることとなった。
王慶の南北からの増員を防ぐため南からの敵には関勝等をこれにあたらせ、北からの敵には林冲等を配置し敵の侵入を妨害した。この上で本体が宛州に総攻撃をかけることとなり、この時田虎よりの投降の将が願い出たため了承し前軍として用いたのであった。
攻城戦の結果は梁山泊軍が勝利し宛州を回復したのであった。
人類の原始の思想について、自然の姿から導き出され循環を伴ったものであり豊饒の願い生産への畏敬であったことを述べました。それは生産というとことで性というものに非常に感心が高く全てに精霊にような生命を感じていました。
人間集団が少し大きくなるとこういった要素が祭事となっていき祭祀の儀礼が発達し司祭者が登場します。ここで初めて日常から解放された人によって思想が形創られて、それはある種の世界観となって結実します。これは宇宙創造の神話といったものです。今日も神話としてその伝承は続いていますが、その形態は多種多様です。現在の高度な思惟形態からみるとあまりにもお粗末なののですが、祭祀にかかわる重要なものです。
例えば広義では数学論理学などもこの流れを受け継ぐといってもいいでしょう。つまり世界創造においてそれは言葉と数によって始まったといわれる神話です。天地創造が文字によってどんどん形成されて行くといったもので、世界を言葉と数によってとらえようとするものです。今日の科学は現象を数によって捉え計量化しています。またその数ですら論理形式をもって形作られています。文字通り数や言葉で世界を捉えているのですね。そういった意味合いでは古い時代に創られた神話というものもこれらの思想の一部といえます。
開闢神話はたわいのないもので、准南子、リグヴェーダ、マヌ法典、タナッフ、エッダ、ギリシャ神話、エジプト神話と数多くありますがだいたいにおいて根元的ななにかより派生してどんどん創られるといった傾向のものです。根元的何かはこの後、イデア的なものに変質していったり唯一神といった人格的なものと変化してまいります。
このような開闢神話が創られていったのも、日常作業から解放された司祭者などの暇人が登場したことにやるものと思われます。思想の成熟には暇人、日常生活に全く役に立たず思弁を繰り返す者の存在を必要とし、それには生活環境が安定し雑務から解放される必要性があります。
穀類の安定的生産や人口の増加による社会の成熟がないかぎり、この暇人は登場しえないのです。この司祭に続く時代では多くの暇人が登場し、社会的落伍者やクズで怠惰な金を稼げないような駄目人間が新しい思惟の形態を作り出すのでした。
作品215
宛州を手に入れた梁山泊軍はさらに王慶の支配地に進軍する。次なる攻略地は山南軍であった。山南郡は楚と蜀が境界とする地であり、ここを支配することにより王慶軍を分断できるのであった。宛州には林冲、花栄等が5万の兵で守備をし、兵を15万を三隊に分け山南郡に向かったのであった。
前隊は董平、秦明、徐寧、索超、張清、以下田虎の将率いる2万
中隊は宋江、廬俊義率いる本体10万
後隊は黄信、孫立等率いる5万(3万?)であった。
山南郡の隆中山には2万王慶軍が待ちかまえており、戦いの火蓋は切られたのだった。
梁山泊軍前軍の2万、田虎軍2万と数は拮抗し両軍は相対した。梁山泊軍は王慶軍と遭遇戦を開始し、孫安と卞祥に5千で左翼、馬霊と唐斌に同じく5千を右翼に展開させた。
両軍はぶつかり合い索超がビセイと戦い決着がつかず、張清の飛礫もかわされ取り逃がしてしまう。この戦いで王慶の五将を倒したものの、梁山泊側も新メンバーの文容仲と崔埜を失ってしまったのだった。
15日アップのつもりが、寝てしまってだいぶ遅くなりました。ぐだぐだした話はまた次回。
作品216
王慶軍2万をうち破った梁山泊軍は、いよいよ山南城の攻略に向かった。城の北西部には梁山泊水軍が集結し、陸上と水上からの攻めが整いつつあった。これに対し王慶側は梁山泊軍の兵糧等は背後の宛州に備蓄され、その守備が手薄なのを察知し密かに2万の兵にてに襲うこととした。これにより補給線を絶つて梁山泊軍を解体させようとしたのだった。しかし呉用はこの罠を察知し逆に計略をほどこした。
宛州を襲った2万の兵は林冲、花栄等の活躍により退けられ危機を脱した。山南城を攻める梁山泊軍は突如後退をみせ、この行為に王慶側は宛州の作戦が成功し敵は逃げているのだと判断した。
急ぎ追撃の軍を出そうとしたとき、宋側の食糧運搬舟を発見したのであった。王慶側はこれを拿捕して宋軍を完全な解体に追い込もうと考えたが、拿捕してみると空の舟であった。実は二つとも呉用の陽動作戦で、誘き出された王慶軍はやすやすと城に侵入され強固をほこった山南城も陥落したのだった。
暇人が新しい思想の原動力ということでちょーエリートの祭祀者層について述べました。このイメージが湧かない人はインドのカースト制度を連想したらいいのかもしれません。司祭のバラモンは頂点にたちその後、王族武士、平民、ほんで奴隷となる訳なんですね。もちろんこれは後期の姿ですが、神事を司るものが頂点に立つてやつです。こういった連中がウェーダ(経典、ほとんどおとぎ話)を作り上げるのです。
このあと世界は爆発的に多種多様な思想を産みだしてきます。そう都市国家の成立です。これというのは農業生産性が増大し多くの人の口を養えるほどになり、商工業が発達し生活水準が上がっていった時代なんですな。いつかというと広範囲なのでだいたい紀元前500年ぐらいと理解してください。(おおざっぱな捉え方ですが)。
人が沢山生きると邑みたいになって行くわけです。当然都市国家同士で生産物の交換が行われ交易が始まってくるというわけで、都市間(ポリス)のネットワークが築かれるといったものです。
この頃になると、一つ下の王族や武士階級に権力が集まり、祭祀儀礼を行ったものの権力も弱まり、秩序の崩壊が始まります。王族のなかに暇人が登場し司祭層真っ青の思想を考案を始めるのでした。こういった生産性の向上はさらに下層階級の平民まで普及してくると、ますます思想的なものが発達することとなります。
ギリシャのポリス世界でも、金を稼ぐことに精を出すでもなく奥さんに駄目亭主と罵られながら大好きなこねくり回した論議にあけくれ、最後は毒杯をあおった人物が登場するように、豊かさが暇人の存在を許したといえます。
インドにおいても、社会全体の富の蓄積が生産から離れた者達の存在を許容できるものとなっていました。俗に「沙門」と呼ばれる存在です。彼等は祭祀層でもないのに思想を展開し社会に寄生して生きていました。釈迦もこの一人となります。本来この様な存在は定年後、隠棲して森の中で宗教気取りの修行をやるというのが本筋なのですが、商工業の発達による社会的変化が若い層でも宗教的乞食を許すといった風潮が出来上がってためです。
中国では宗教的というより政治的な色合いが強い思想家達が登場します。これを「諸子百家」と呼んでいますが。好き勝手に自分の主張をディベート宜しくやっている、ギリシャの「ソフィスト」さんと似たようものと思って下さい。
というわけで都市の発達により「穀潰し」の存在が許され、思想は爆発的に発展したというわけです。
作品217
梁山泊軍は荊南と進軍していったが、ここで政府より西京の賊を退治しろとも命が下った。
それで二手に分かれ副先鋒の廬俊義に西京を攻めさせることとなった。
ここのところ管理者もちょいと混乱。そこって通過してきたところじゃないのか?
まあ、多分それより東を進軍してきたと思うので矛盾は無いとも言えるが、だったら黄河を渡ったあたりで退治しておけばいいものを、とんだUターンびなってしまったのでは。
多忙になりなかなか更新が出来なくなったことを深くお詫び致します。
ゆっくり解説を書いている暇をなくなってしまいましたが、出来る限り作品は今後も発表していくつもりですので、宜しくお願いいたします。
さて都市国家の発達に伴い暇人が多量に発生した事をお話ししました。
この話が水滸伝となんの関係があるのかと疑問に思われていることでしょう。まあ、直接的にはなんの関係もありません。
インドでは紀元前一千年ほどまえから「ヴェーダ」に思想的なものが説かれていました。その到達点が「梵我一如」といいうものです。形成の流れとしてはヴェーダからブラフマーナそしてウパニシャッドといったものになります。簡単に言うと教義というやつですが、個人の自我と世界の根本原理(絶対者)が同一という理想を説いているのです。
シャーンディリアやウッダーラカ叉はヤージニャヴァルキャの説がこの典型と言えます。
一般に悟りと呼ばれるものはこの事を指し、このファンタジーを追いかける人々を多く輩出します。
これがインド思想のベースとなり、紀元前5百年ごろになると様々の思想が登場します。
当時中インドの状況は都市国家が発達したたものの戦乱の世界でした。中国の春秋戦国みたいなものといえます。小国家が乱立していましたがコーラサ国とマガタ国、アヴァンティにヴァンサが大勢力となっていました。こんな中に芽生えた思想がこのようなもの。
マッカリ・ゴーサーラの決定論
アジタ・ケーサカバリンの唯物論
ザンジャ・ベーラティップッタの懐疑論
ニガンタ・ナータプッタのジャイナ教
ゴータマ・シッダールタの仏教
プーラナ・カッサパの道徳否定論
パクダの・カッチャーヤナ七要素説
など63種の思想が開花していたのでした。
この頃はウェダー時代よりかなり多様性に満ち思想満開といったところでした。
しかし存在論的なアプローチというより認識論的なもので全体的に内省的な傾向があり、我についての考察がメインでです。例えば釈迦のテーマにしたのは存在の苦しみで、著しく内省的で存在とか実在のような物性でなく人間そのものといったものでした。
後にサルトルが西洋哲学はなんと遠回りをしてたのあろうかと述べたことがあるくらい我の問いはインドではかなり古く、西洋哲学ではデカルト以降にやっと我について問いかけるようになったのに対しインドでは遙か昔に主題となっていたのです。これもお国柄というもので、インド人の抽象物に対する思い入れは半端でないことによります。
もっとも我についてはよく考えたのですが、他者とはなにか、自我と他者の関係についてはあまり考察されていません。
インド思想を中国思想と比べれば一目瞭然でインドが空想癖なのに対し中国は現実主義(政治色が強い)となります。インドで頂点にいるのは聖職者ですが中国では為政者となります。これらも風土の影響を受け人々の関心の違いが思想に表れるいるといえます。
都市国家の時代様々の思想が登場しますが、やはり風土というのが影響があり(中国とインドの差異のように)その中で生きる思想家はその時代のその地方の考え方に基づき思想を展開します。
例えば仏教のゴータマは苦集滅道しか説かないと宣言していますが、彼の発言を理解するにはバラモン教の考え方がないと分からないのです。彼が生きた時代や説かれた地では既存の事実でありあえて説明するまでもない事柄なため、釈迦は当たり前に説明なしに説くのですが、そうでない私たちが読むとなんでそういう判断になる?と疑問に思ってしまうのです。
という訳で様々の思想はその地の風土から作り出された思想の傾向をもって登場しているというわけです。もちろんそれを説く者達はそれらのフィルターが着いていることなど全く気がつかないままに。
作品218
梁山泊の十八番と言ったら九宮八卦陣である。童貫率いる禁軍が梁山泊に進軍してきたとき撃退した陣形がこれである。その後も重要な戦いの時採用されるが、この陣形はメンバー大集合のとき使われる陣形のようだ。
征王慶にて二手に分かれて西京に向かったさい、廬俊義の副軍師朱武が採用した陣形は循環八卦陣だった。王慶の敵将は陣形戦を得意としており、六花陣にて対抗したのであった。陣形戦いは梁山泊の勝利に終わったが、楊志、孫安、卞祥等が谷に迷い込んで出られなくなってしまった。
ところでこの循環八卦陣、遼の将兀顔延寿が使用していたものである。この時は様々変化を見せ、太乙三才陣から河洛四象陣、さらに循環八卦陣から八陣図と縦横無尽に陣形を操ってみせた。対する朱武は九宮八卦陣から変化させることもなく、一つ覚えの陣形と思いきや、今回の戦いでちゃんと出来るてことが証明された。
朱武はお馬鹿な若僧の史進に仲間を助けるために、本音勝負をやるような策略に乏しい人物であるのが残念なことである。もっとも、戦術戦が得意な上に謀略を仕掛けられるとしたら呉用が黙っているわけないので、チーム梁山泊としては公孫勝同様、かぶらないというのが円満の秘訣なのかもしれない。
書かれたことを理解するするには、その時代の背景、それまでの変遷を考慮し判断する必要があります。その前提としての知識を必要とするわけです。
例えば、「俺はしたくはなかったけど、なりゆきでなちまった。こういうのて好きでないだよね。冠婚葬祭は人にとって大切なことで、それが出来ないとは不憫じゃないか。俺はそれをちょいとお手伝いしただけだ。それに男同士のつき合いの何処がいけない。あげくにはてに恨まれて、あれよあれよという間にめちゃくちゃ人生さ。まっとうな人間になりたいと思っても世間が許してくんねえ。こりゃ一旗揚げて有名になって故郷に帰るしかあるめいよ」
と誰かさんのぼやきを紹介しました。
これを読んだだけでは、普通は何を言っているのか分からないでしょう。ところが水滸伝をお知りの貴方は理解出来るはずです。そう、これは閻婆惜を殺した頃の宋江のぼやきです。
この様に同じ文字で有りながら、その前提とする知識を持つことと持たないことでは理解度に大きな開きが生じます。知識の枠組みや活動の枠組みを頼りに判断しているという訳なんですね。
この水滸で釣りも農耕民族と遊牧民の興亡の歴史を長々と紹介して、物語誕生の背景を説明いたしました。そこまで説明しないと、水滸伝と北方民族とのからみがよく分からないからでした。趣旨はこの物語は国粋主義的文学てことを述べたいだけなんですが。
それでインドの続きですが、商工業が発達し都市が発展すると様々な思想が登場したわけです。さきに印度思想は梵我一如と述べましたが、これは理解しやすいように大雑把に述べたものです。厳密にいうと、違います。例えば仏教を含め発生した数多の思想はバラモンの教えヴェーダに対抗して登場したもです。
例えばプーラナ・カッサパなどは略奪、殺人、強姦などをしても悪でない。祭祀や自己抑制や施しをしても善とはならない。と道徳を完全否定しています。
ザンジャ・ベーラティップッタは断定論を否定し、全てを不確定の論としました。
この様に伝統的なヴェーダにのっとったものではなく、むしろ伝統を否定する存在です。
でも彼等がそれらを説明する為に用いられる用語は伝統的なものを使用しなくてはならず、そのことにおいて過去の伝統を抜きに語ることは出来ないのでした。
これは仏教が中国にやって来た時も、その教理を説明しても人々は理解できず、老荘の思想の用語を用いて初めて理解できたと言うように、言葉の前提条件なにし物事は伝えられないということです。
このように、新しい思想をといえど、それを伝えるには伝統的概念を必要とし、それを使用するからには、ある一定の方向性があり、これはしょうがないことです。
そこで伝統的ヴェーダでなくジャイナ教をもって、その傾向を説明しましょう。
ニガンタ・ナータプッタが説いた教えなんですが、これは何か釈迦を彷彿させます。
彼も王族の出で、奥さんがいて突然家出しています。このわがままさがいいんですかね。
物事を相対的に判断すべきと述べているのですが、世界観は宇宙は多くの要素から構成されているが、大きく霊魂と非霊魂に分けられる。・・・原子は知覚出来ないがそれらが集まり知覚できる形なる。・・・主宰神は存在しない。
人が動き三業を生じると、その業に物質が霊魂に付着し、霊魂を呪縛する。本性を覆ってしまうため霊魂は四迷界を輪廻するようになり苦しみを生きることとなる。
業に束縛された魂を解放し安らぎに至るには、行により過去の業を消し去り、新たな業を防止し霊魂を浄化しなくてはならない。
このようにして業の拘束から解かれ霊魂から物質が離れると、本性が現れ完全な智慧に到達するのである。
とまあこんな感じです。
物心二元論ですかね。
1,眼、耳、鼻、口、身などの感覚器官に意識が関わり「業」が造られる。
2,真性の自我(仏教では仏心)が覆われる。
3,苦しみの輪廻に陥いり、各界(思いの世界)を彷徨う。
4,行(仏教の場合は正しい生活)によって呪縛から解放される。
5,真我が現れニルヴァーナに到達する。
といったもの。
簡単に言うとみんな業により迷いの中にある、てことです。この「業」て奴を西洋人に説明しようとしたら「原罪」と説明すべきなんでしょうか。
印度では人は迷いの中にあるという考えからがあるから、歴史の記述が少ないと言われています。たしかに、そんな朦朧とした状態の出来事を記録しても意味ないといえます。
印度の歴史とは迷いの歴史と言えるのでしょう。
作品219
西京攻略の廬俊義軍は勝利したものの、結構痛い目に遭っている。楊志や孫安が谷に封じ込められたりして、六花の陣をうち破ることも出来たのも馬霊の働きによる。
二万の王慶の軍がやって来ると、廬俊義はこれを撃退しようとした。この時危険を察知した燕青が出陣を止めさせようとしたが、廬俊義はこれを退け、敵の策略にはまってしまう。敵の魔法使いの魔法で多くの将兵を焼け死なせてしまい、軽率な判断がこのような結果をもたらした。自身も焼け死にそうだったが、燕青の機転によって救わた。水の魔法使いの喬道清がやってくると炎の魔法はうち破られ、彼の知略によって賊は平らげられたのだった。
印度といえば、変な姿勢を保って修行している修行者、女性なんかでは美容のためにあるみたいだが、これって実は精神修養。その経典のヨーガ・スートラなど読むといきなり第一章で「ヨーガとは心理作用を滅することである」という凄い文句に出くわします。その後「その時は真我は自己本来の状態になる」と述べられて、なんか思考が宙に舞ってしまいます。中身はずばりサーンキャ哲学の二元論なんですが。15歳の若僧の管理者には刺激的で、意味も分からず唸ったりしていました。もっとも、その2年前「老子」の「道可道、非常道、名可名、非常名」を読んで、とらえどころのなさに呆気に取られていましたが。馴染みの深いヨガですが実は思想みたいなものなのです。
さて印度における思想の中心的課題は自我の問題でした。この問題に数多くの思想家が挑んだわけですが、全体を見渡すと系統色の統一され印度らしさの思考を感じます。
それは純粋でケガレのない自我というものが存在し、これは感覚器官を通じて派生する思考によって本来の姿を失い、迷いの中に落ち込むといったものです。そしてその改善方法として五感からのものを退け、五感が思考を支配するのを返上し、真我にその支配を戻し有るべき姿に戻すというものです。
分かりやすく述べると、自我については、認識者の主体は把持できないという考え方をしています。例えばアートマンについては「否、否がアートマンである。それは捉えられず、破壊できず、無執着のもの」とあります。まあ表現できないくらい、純粋で高貴な存在といったものだと言うわけです。これが世界意識(ブラフマン)と同化するのものであるという前提条件のもと、様々なの論が展開されるといったわけです。
魯智深の悟りの土台といったら、こういったものなのです。
ところでこういった理想を追いかけた考え方は、反常識的な思考となってしまいます。例えば老子の場合、「不尚賢、使民不争、不貴難得之貨、使民不為盗」とややひねくれた考え方となっています。
実際の一般の考え方は「地位」があるというのは、支配権や特権があり人生を優位にたてる状態で、プライドを高く保てます。「名誉」は努力の結果であり他人から尊敬され、価値有る人物と認識される。また他者への影響を与えることができます。「財産」は生活の安定の保証であり、その財は多種多様のものと交換ができ、欲望を満たしたり豊かな生活を送れます。特に生物で在る以上衣食住に深く関係した財産はもっとも必要をされるものと言えます。
どんなに高貴な真我に到達したとしても、地位、名誉、財産の無い者は只の良い人にしかすぎません。
金を持つということは、その人の社会的評価といったものでして、実力が認められて、その評価として社会から金を受けたのであり、貨幣は人の能力を推し量る尺度であるというのが一般的なものの考えかたでしょう。これは地位についても同様なことです。
これに対し、純粋精神を探求する変人たちは、あえてこういったものに逆らっています。
たとえば老子では「上士聞道、勤而行道、中士聞道、若存若亡、下士聞道、大笑之」と述べています。笑われないようでは、道として価値がないとも述べています。空元気のような感じもしますが、求道者の心理には、ある種反常識的な反骨の精神があるようです。
こういった求道者から見れば、梁山泊のメンバーはゆがんだ政治に反旗を揚げたヒーローどころか、同じ欲望に振り回された業による迷いのなかにある者達と見えることでしょう。
ずばり、四姦と同類といったものです。なんら違いはないのです。
逆の見方では真理の探究者とは夢想家ということになります。ありもしないものを信じ常識的なものを踏み外している者達ということでしょう。ウパニジャッドを読んでも自我についての教えはあるものの、何故そうなのかの説明はありません。これは孔子も同様のなもので、最初に無条件で教義があります。それに付き従うものは、釣りの師匠に教わるかのように、悟った人に従いながら、真理というものを修得しようとします。
例えば、仏教には仏、法、僧があります。これは三法と言って。仏を信じること、仏の教えた法を信じること、僧を信じることとあります。その起点が無条件で信じることからスタートしています。
仏教においてもその始まりは、ゴータマは自分は悟ったのだとの自己申告によって始まっています。弟子達は釈迦が教えた悟りの方法について、なんの信じる根拠もなく、盲目的に学習するということでニルヴァーナに至ろうとしています。それで仏に到達できるかと言えば、羅漢(あるはっと)などと称して永遠の課題としたのです。その後、菩薩(ぽーでぃさっと?ぁ)が登場するに及んで、ますますその差は開いていく一方です。
この様に、最初に主張した者を無条件で受け入れ、それが真理を説いたものと信じ、学習するとといったことをしています。その上で教えは到達し難いものとなって、難易度を増して行きます。夢想家の発案を他の夢想者がおっかけるといったもので、意味のないものを追いかけ、時を費やしているかのようです。
相反する考え方はどちらが正しい見解なのか難しいところです。都市の発達によって数々の思想家達を登場いたしましたが、聖と俗の伝統を引き継いでいるのか、その思想は人間の常識(衣食住に基づく)を離れたものとして現れたのでした。
作品220
記憶だけで漫画を描いてみましたが、実は李逵のお母さんは盲目でした。漫画作成後に小説を読み直して気が付きました。どうやら李逵を心配して涙が枯れ盲目になったらしいのですが、泣きすぎると目が見えなくなるものでしょうか?よくわかりません。さらにもう一つこの時、夜でした。母親が目が見えないので、気づかれずに連れ出せたのですが、夜の山中はもの凄く寂しいものです。山の中にぽつんといるだなんて信じられません。
管理者も小学生のころ一人山中に入り、中腹で日が落ち真っ暗となった森の中を必死に町の灯りを目指して山を下ったことがありました。しかも道が無いようなもので、浸食されれ削れたところを移動するといったもので、くわえて月明かりがないとなると恐怖に近いものがあります。この時、人の中でしか生きられないと悟ちまいましたね。
もっと恐ろしいのは山岳部の友人が夜中、山から下山していた途中で藁に釘を刺している女性を発見しびびったということでした。夜の山ておつかない。
李逵のお母さんが虎に狙われたのも、夜中だったからですかね。
中国で虎といったら、人間が虎がなってしまう話を思い起こされるでしょうが、管理者の場合は孔子のものを、思い出しますね。昔、読んだものの記憶では(十代に読んだきりなので多少違うかもしれないが)、こんな感じでした。
ある日孔子たち一行が虎が出没する地帯を旅をしていました。ここで彼等は一軒の家を発見、そこの女性の人に孔子は尋ねます。「何故、虎がいる所に住んで居るんだね?危険ではないのか」これに対し女性は「役人の取り立てが厳しく、罰せられることもあるので、その心配のないこの地に暮らすことにした」と答えたのでした。これを聞いた孔子は弟子達の語ったのでした。「よいか、悪い政治とは、かくの如く、虎よりも恐ろしいものなのである」と。
虎より人間はたちが悪いということですかね。
そう言えば、何故かどう猛な動物はネコ科が多いですなあ。犬は今ひとつですし。強そうなのといえば、ドーベルマンとかブルドックてものか。ライオンや虎や豹と比べればなんか力不足て言う感じですね。こいつに対抗するには熊しかないでしょう。
水滸伝では熊と戦うてのがありませんね。中国に熊てのはいないのか?
武松が熊と戦うシーンを見たいものです。
作品221
黄門山の四人組が分かる方は、かなりの水滸伝ファンでしょう。もちろん飲馬川も同様のレベルですが。
黄門山のメンバーは揚子江の軍卒だった「欧鵬」、書生くずれで文武両道、兵法に優れ槍棒を使い算術が得意な「蒋敬」、遊び人で笛が得意で百人を相手に戦える「馬隣」、百姓あがりで鉄鍬を使い力が強い「陶宗旺」となります。
これれはなかなかバランス良くメンバーが揃っていはいないでしょうか。
例えばリーダーの欧鵬は軍人だったので、一応の戦闘についての基礎はあると思えるし、蒋敬などは兵学や計略が出来き、これは小華山の朱武みたいなものです。しかも算術が得意とくると山寨の財政面は安泰です。馬隣は戦闘中心という感じですが、遊び人だったので笛を吹いてぷらぷらしているかも知れない恐れがあります。陶宗旺は戦闘員として活躍できますが、かれの梁山泊へ編入後の役回りが家屋や城壁の修理だったので、もしかしたら黄門山でも強固な城壁なんか作っていたかもしれません。黄門山の防衛については安心というものです。
飲馬川なんかの場合はこうです。一人少ないですが。
リーダーの「裴宣」はもと裁判所職員。文武両道で真っすぐで頭がよい。「?飛」は鉄鏈の使い手。「孟康」船大工です。
まあ、二つの山寨はドングリの背比べみたいですが、飲馬川の裴宣に負担が大きくのしかかっているように思えます。
黄門山と飲馬川の違いは、梁山泊に合流した理由にあるようで、黄門山は宋江を慕って合流したのに対し飲馬川は梁山泊の人気によって入山を希望いたしました。
飲馬川の場合、戴宗が梁山泊の良いところを頭領に宣伝したおかげで入山を決意したというもので、宋江の存在は第一の理由ではありません。これに対し黄門山の連中は宋江を出迎えて合流したくらい宋江自体への思い入れがあり、大きく違います。
これは宋江の人徳といったもので、江州近辺に登場する人物は宋江をかなり信奉しているのではないかと思われます。
と申しましましても、飲馬川の者達が入山出来るのも宋江の開放政策によるもので、宋江の方針に賛同して合流したともいえます。
後の方臘戦において費保が「宋公明殿が天下の好漢を招き集められていることは存じていました」と述べています。
梁山泊は勝手に拡大したかのように見えますが、じつは宋江の受け入れ体制によって形を成したといえます。宋江が少しずつ人材を集め禁軍同等の軍団を作りだしたのです。つまり宋江なくして108人は存在しないということで、108人と招安は切っても放せないものです。
宋江の目的が「国に替わって治安維持をする」といったものなので、メンバーの死はこれまた必然といえます。おそらく宋江は北方水滸伝の宋江とは違い、宋の制度そのものには批判はないようです。論議の的である招安は当然のことであり、目的が国が出来ない治安維持を遂行するといったものなので、梁山泊に集まった者達はそちらにベクトルを向けられてしまいます。
江州から梁山泊への帰還の途中、黄門山の山賊が梁山泊に合流します。合流の理由は宋江を慕ってなのですが、宋江の目的が国にとことん尽くすといったものなので、結局生き残ったのは事務方に配属された蒋敬のみという結果に終わりました。
黄門山の合流後、宋江は九天玄女に出会って、拡大路線を突っ走ることになるのですが、彼等はこんなはずではなかったと思ったか、喜んで付き従ったかはよく分かりません。
作品222
解説するまでもなく有名な箇所ですが、林冲がどんどん酷い目に遭うシーンの一つです。
これでもか、これでもかと林冲に災難が降りかかり最後は落草してしまいます。
林冲の人気の高さは、初期の段階で登場し悲劇の主人公を演じ、尚かつ武力のて上位にあることによるものでしょう。
水滸伝文学成立段階でオマケ程度の存在の林冲が諸先輩を追い抜いて主役に躍り出たのも、作者が新しい水滸伝を描くという意気込みのもと魅力的なキャラに仕立て上げた為めと思われます。
こういうところは、北方謙三の宋江などのキャラ再編成に似たようなものであると言えます。
地サツ星の連中が原典から離れて自由に設定出来たように、楊志と比べて林冲はその他脇役だったので思い通りにいじれたと言うことでしょう。それは大成功でした。
しかし出来上がった悲劇の主人公の林冲ですが、どう考えても心理、弱いですね。
蕩寇志にてその姿勢を一喝され、ショックで病に伏して死んでしまうというのも、いいところ突いています。
とにかく生き延びて、何かやろうというのでなく。なにか受け身の姿勢なんですね。
人生流され、惰性で生きてますね。妻という過去に縛られているし、豪傑なの?
晁蓋達の梁山泊乗っ取りに荷担するものの、悪政を正すといった気概もなく。その後も惰性で支配者に身を任せるというものです。
まあ、所詮は武術の師範に過ぎないということなのでしょう。
とろで水滸伝では作者が時々物語り中で顔を覗かせます。
第8回 野猪林 のところではこんな風に語っています。
「宋時途路上客店人家、但是公人監押囚人来歇、不要房金」
宋の頃、囚人を連れた役人は宿代は不要だったのです。と説明しています。
そもそもここでこんな解説は要らないのですが、わざわざ作者は紹介しています。
水滸伝を作成するにあたって、宋代の風習やしきたりに関する調査をした成果を、ここで披露しているようです。この一言でも水滸伝が随分後に作成されたのが分かりますね。
なにかいろいろ調べている作者の様子が思い浮かんでしまいます。
また、別の所では
「一座猛悪林子、有名喚野猪林・・・・・・。宋時、・・・不知結果了多小好漢。」
これこそ、悪名名高い野猪林でした。東京、滄州間の難所で、幾ばくかの金を掴まされた役人が好漢達をいかに殺めたことか。と書いています。
これもなにがしかの伝承があり、これを作者が採用したもののようです。悪名高いと言うからには、相当知られたものだったのでしょう。
現実のものか、劇によるものかは不明ですが、わざわざ宋の時代と述べているので、現実である可能性が高いのではないかと思われます。
それ以前のものであるとするなら、初期梁山泊の所在地、山西地方(田虎の舞台)。太行山の麓辺りの山林かも。
ここでも作者は顔を覗かせちゃっている訳で、新人キャラの林冲がこんな目に遭うのも伝承のネタを仕入れた作者のせい。
作品223
水滸伝の引首を漫画にいたしましたが、物語の冒頭なので多くの方には記憶がないことでしょう。普通は第一回の大尉の洪信が魔星を解き放たところから始まるのですが、水滸で釣りは第ゼロ回から始まります。
ところで、みんな無視する割にはこの冒頭の話は重要で、作者が設定したこの物語の世界観を紐解くことができるのです。みんなが見落としたところに、かなりの重要な情報があるという訳です。
これから解説するのは以前紹介したことで、解説が重複してしまい読者から「しつこい」とのご批判が出てしまいそうですが、漫画の題材がこの箇所なので再び述べることに致ししましました。
この第ゼロ回は大宋国の建国と隆盛についての語りです。帝位が禅譲にて趙匡胤の手に転がり込んだことを、もの凄く美化しています。本当は乱世の時代、幼帝では不安なので、みんなで先帝(柴栄)の部下であった、大尉である趙に目をつけ、帝になってもらったというのが実状でです。
趙匡胤の没後、皇帝になったのは弟の趙匡義でした。噂では趙匡胤は殺されたというものがありますが、真偽のほどは定かではありません。
弟の趙匡義が宋の基礎を作ったのですが、水滸伝では、そこは省略し仁宗皇帝のお話になります。
とても優秀な皇帝で仙界の赤脚大仙の生まれ変わりとしています。そして仁宗皇帝の時代宋国は天下太平で、これを支えたのが二人の臣下としています。
包拯と狄青がそれですが、范仲淹などを加えてもいいような気がしますが水滸伝ではこの二人です。
狄青は武人で西夏との戦いで功績のあった武人のヒーロー、包拯は名裁判で有名な文人のヒーローです。文、武のヒーローが皇帝を支えたという設定です。
ここで注目しなければ、生まれ変わりの世界観で、水滸伝では皇帝は仙界の生まれ変わりとしそれを補佐する者は天界からの生まれ変わりとしています。
武徳皇帝は霹靂大仙の生まれ変わりで、仁宗皇帝は赤脚仙人となっています。
仁宗皇帝が赤ん坊の時、夜泣きを治しにやって来た翁の正体は太白金星であり、包拯と狄青は文曲星と武曲星の生まれ変わりとなります。
水滸伝は魔法使いなどが登場し、その性格はファンタジーといえるもので、この辺りが三国志との違いであることは知られていることです。さらにこの様に天よりの使者などを英雄と設定するところも歴史物でないというのを如実に表しています
。
英雄=天より使わされた使者 と捉えており、狄青などは武曲星となります。
ところで梁山泊の面々も星の名前を持っています。
例えば宋江は天魁星といった具合です。この場合宋江の正体は天魁星ということで、天より使わされた者となります。此処の部分の説明は、水滸伝において九天玄女登場のシーンで説明されるのですが、作者が天下太平をもたらす者との役割を梁山泊の者達に求めていたのはこれで分かります。
主人公に何で星の名前があるのだろうか?と不思議に思われた方は多いでしょうが、理由はそういう訳です。
物語では、北方民族を倒し、反乱を鎮める役割も担わされます。水滸伝読者には、征遼と方臘の戦いは誤っていると思われるかもしれませんが、それが作者から与えられた英雄としての仕事となるわけです。
しかし、ここで作者は彼等を完全に英雄としては認めていませんでした。残酷なようですが、水滸伝作者にとって、伝承された36人はやはり盗賊一団なのです。それをそのまま英雄には出来ないのです。作者はここを野放しにはしていませんでした。そこで設定されたのが堕天使みたいな存在でした。
第一回では地下に封印されており、魔物扱いとなっています。108人が集合したところで終わると、悪の軍団形成となり、宋国に災いをもたらす存在となります。ここから一気に宋国の為に国軍(天軍)として戦うといことにし英雄にしています。
そもそも招安に賛成反対関係なく、梁山泊の面々は英雄となるため戦うことを使命をもたされたものでした。
本来神である彼等が何故魔となるかその理由は、使命を忘れ好き勝手したからとなっています。そこで今生で使命を果たすことを命じられているという訳です。
水滸伝作者は盗賊集団を英雄と完全に同視していません。そこには大きな隔たりがあり梁山泊の者達はあくまでも不良集団なのです。ゆえに彼等は贖罪として、方臘戦にて散っていく運命を与えられたのです。
もともとの話では36人がハッピーエンドで終わるものをわざわざ殺していったのも、罪人には悪い報いが返ってこなくてはならないということで、彼等が社会的に認められない悪党であるとしたことの証明です。
水滸伝では四姦が最後まで罰せられず無事なのが納得出来ないという意見もあるでしょう。それを主人公に期待するというものがあるでしょうが、それはお門違いというものです。悪党が悪党を罰することなど許されることではありません。
すなわちそういった者は本物の正義によって裁かれるべきものなのです。
こういった矛盾の根元は本来悪党であった者達を民衆が賞賛したことに起因します。水滸伝がすっきりしないのも、悪党は罰されるべき、しかし庶民のヒーローであるという矛盾を両立させたためにあります。その落としどころが堕天使みたいな存在となってしまったのでしょう。
水滸伝での作者の意図を読み解く上で真のヒーロー像を伺い知るところは、必要です。それがこの冒頭のお話というここになりますので、すっとばさず読む必要性があります。
作品224
母親を虎に食い殺された李逵は、怒って虎を皆殺します。ところが、虎退治を猟師に発見され英雄扱いにされます。曹太公の屋敷で歓迎されますが、運悪く李鬼の女房が李逵に気が付き、正体をあかされ捕まってしまいました。
知県は直ちに、李逵を曹太公の屋敷から護送するように、都頭の李雲に命令します。
この噂を聞いた、朱武と朱富は李逵救助しようとしました。
丁度、李雲は朱富の師匠であったので、手伝いと称し、酒や肉に痺れ薬を含ませ食べさせたのでした。薬を盛られ役人は動けなくなり、無事李逵を救助出来たのでした。
この時、朱富は師匠に騙したことを後悔し、李雲が追いつくのを待つたのでした。李雲は追いつくと、はたして李逵と李雲の戦いとなり両者一歩もひきませんでした。朱富が間にはいって戦いは止み、朱富は師匠に梁山泊入りを薦めるのでした。
家族のない李雲は入山を決意し、ここに笑虎と青眼虎の二虎が梁山泊に加わったのでした。
李雲という好漢はどう解釈していいか悩ましい人物です。
まず第一に、43回登場時は豪傑の都頭として表現されています。しかも深緑の瞳に異国人の風貌とあります。ところが入山後は家屋の修理の責任者に任じられている。ここがよく分からないところです。もちろん他の技術者は前歴として職業が明記してあるのですが、李雲の場合はありません。そこでどうしても大工としての技量が信じられないこととなります。
もちろん彼が戦闘に加わらなかった訳でなく。呼延灼軍との戦いでは歩兵として参戦し、高毬戦では敵将の首を取りました。遼との戦いでは、魯智深とともに関を奪い取り、田虎の戦いでは喬道清の妖術に宋江が殺されそうになると、奮戦し踏ん張って耐えました。方臘戦いでは各種戦い繰り広げ戦死しています。
朱富の師匠とはいえ、単なる歩兵の小隊長レベルだったのでしょうか。
誤解させるのが李逵との対戦です。これでは李逵と互角とありますが。よく読んでみると李逵は得物を宋江に預けさせられています。つまり、朴刀で戦っているのです。
この点対等の戦いとは言えません。
これは林冲と楊志の戦いでも言えることですが、もし林冲が槍で戦ったら違った結果になっていたことでしょう。
つまり、李雲は登場したときかなりの使い手のように見たのですが、実は並以上というだけで、梁山泊では大した武芸の持ち主でなかったと考えるべきかもしれません。
それより気になるのが、梁山泊での彼の序列の扱いなんですが、弟子の朱富より四つも下なんですよね。まあ、宣賛のような上司でも、40位と置かれちゃうのでありえんこともないのですが、朱富は何故下座に願い出なかったのでしょうか。
梁山泊の序列では泥棒についてはかなり厳しい捉え方です、馬泥棒の段景住は再会、泥棒の時遷は尻から二番手とかなり活躍するのにこの扱いです。白勝以下なので可哀想。
同様の理由で。もしかしたら、杭州あたりは異国人とのハーフは酷い扱いをされていたりする現状があったりなんかして。そんな疑いをこの序列にいだいてしまいます。
ところで今回はジャイアントロボのねたでした。
なんでこんな古い作品を登場させてみたかというと、アニメの水滸伝といえばジャイアントロボとなってしまうからです。
水滸伝のアニメは無くて、中国にギャグとして似て非なるアニメは存在しますが、まともなものは存在しません。
唯一、梁山泊のキャラが登場するのが、ジャイアントロボ「地球が静止する日」となるわけです。
このアニメにて登場するのは以下のキャラクタです。
晁蓋、戴宗、林冲、呉用、李逵、公孫勝、楊志、花栄、黄信、解珍、解宝、阮小二、阮小五、阮小七、周通、李忠、劉唐、孔亮、李俊
かなりいますね。
公孫勝が丸坊主なのが残念ですね。
作品225
晁蓋は「史文恭を倒したものこそ次の梁山泊の主とする」と遺言を残して逝ってしまった。
何故この様な、言葉をのこしたのか不明だが、結果として史文恭を倒したのは廬俊義だった。宋江は遺言通り廬俊義を首領の坐に据えようとしたが、皆に反対されたのだった。
水滸伝では宋江は君主のような性格で描かれています。人望があるだけでなく、情け深く、しかも謙譲であることです。地位にこだわりがなく、人を押しのけて得ようとしないところに理想があるといえますね。
こういうのを徳と言って「こんな様な人が上に立ったらいいのにな」という庶民の願いといったものです。実際では、権力の座というのは、意識して得ようとしなくれば近づいて来ないものです。はためには謙譲してみせ、腹のうちでは欲しいと願いながら努力するから近づいてくるものです。
もし棚ぼたで権力の座を得たとるならば、それは二大勢力の挟まれて、無害の人物が選ばれたとか、お飾りで選ばれたとか、南宋末期のようにババをひいちゃうので、手を出さなかったなどが考えられます。
水滸伝では宋江は理想の君主像と描かれているため、首領の坐をあくまでも皆の支持により仕方なく就いたという形をとっています。その策略をめぐらしたのが呉用で、実行したのが、李逵、魯智深、武松達となります。
こういう形をとらなかったら、例えばこの様にえがけます。
国家に忠節を抱き梁山泊を帰順させ国軍として錦の旗を掲げようと思い描く宋江と、国家の腐敗を反乱により正そうとする晁蓋との間に方針がぶつかり合い溝ができた。梁山泊内で人気を誇る宋江に対抗すべく、晁蓋は北の勇廬俊義に白羽の矢を立て彼を取り込み、自分の地位を守った。(物語とすこし前後するが)
これに対し宋江は晁蓋を除くことを呉用とともに画策し、曾頭市が梁山泊の悪口をいっていると段景住に言わせ、晁蓋を憤慨させ自ら討伐に向かわせたのだった。呉用は曾頭市の僧に策を授け晁蓋を亡きものとした。
晁蓋は死の間際このままでは梁山泊が招安に向かってしまうと危惧し、遺言として後継者は廬俊義と指名した。しかしこれは宋江等に握りつぶされ、仇を討った者と改編された。
思い通りに事が進み、首領の坐ももう少しと、宋江は次の一手を打った。
曾頭市攻略を用意周到に準備し向かって宋江であったが、おもわぬ取りこぼしをし、なんと史文恭を廬俊義に討たれてしまったのであった。
予想外の展開に驚いた宋江であったが、李逵、魯智深、武松に廬俊義就任を反対させ、なんとかそれを阻止した。そこで宋江が提案したのは、二つの町を襲いどちらが早く陥落させるかで決めようとしたのでした。
宋江は廬俊義にことごとく策が失敗するように呉用を同行させた。かくして廬俊義は張清にてこずり、宋江ははれて首領に地位を手にしたのだった。
こう書くとなんか宋江がしっかり者みたいに見えますね。水滸伝では宋江があまりにも理想化しすぎて、ボーとした人みたいです。水滸伝を面白く描くとすれば宋江を悪党で描くべきではないかと思います。すると閻婆惜を殺したときも、カーッと血が上る性格から刺し殺したという自然な流れになります。招安も有無を言わさずグイグイと引っ張ってゆくとなると、分かり安いのです。
しかし水滸伝は理想化した君主に率いられた勇者の軍団を目指しているので、なかなか難しいところです。
作品226
梁山泊の首領の坐をめぐって、宋江と廬俊義の食糧強奪戦が始まり、宋江は、東平府を、廬俊義は東昌府を襲うこととなった。東平府に、郁保四と王定六の二名の使者を送り、食糧を無心したこころ、断られ攻撃が開始された。この町を守るのは董平で、二本槍を使う人物だった。董平は梁山泊に対抗するものの、退ける事が出来ず、誘い込みの計略に掛かり捕らえられてしまったのだった。投降した董平は梁山泊軍とともに東平府を襲い、宋江は首領の座にに就くこととなる。
董平ですぐ思い浮かべるのが、二本の槍をどのように使うのかてことです。長い棒が二本てのは、なにか操作しにくそうです。まごついている間に一本槍に刺されそうな気がするのは杞憂でしょうか。例えば、二本もので連想するものといったら、二天一流。此の場合一本は主にデフェンスで、もう一本で刺したり、切ったりするもの。とするなら、董平のも同様に、一本は敵の槍を弾き、残り一本で刺すといった使い方をしているのではないだろうか。あるいは、一本目はフェイントで二本目で刺すといった手法も考えられる。しかし、長い棒を一点だけで持つというのは、刀と違って、ぐらつきやすく思えるのだが。二本の腕で、二点によって棒を操作するのと違い、弾かれたら簡単にスキを作りそうな気がする。
操作性の悪さといえば、韓韜の得物の棗木サクも使い辛そう。普通の槍が長もので3メータくらいだがこいつは4メーター以上ある。長いものだから肩に紐を掛けて提げている。もっとも、これの場合、騎兵の突進のための突撃槍なので、小手先の技は必要ないのかもしれない。西洋でいえばランスということになる。せっかくこういう得物のキャラがいるので、で華々しく突撃して串刺しにするシーンなんてあってもいいのでは。
もう一人、こんなのよく扱えるな、というのが関勝の青龍偃月刀。記憶によると、この刀が出てきたのは三国志の時代ではなく、ずっと後のこと(赤壁の戦いが明の時代の水上戦を参考にしたことは有名)たしか、金あたりだった?歩兵で大きな刀を運んで、迫り来る騎兵の馬の足を薙ぎ払うというというもの。これだったら、重い刀を棒の先につけて振り回すというのも納得です。ところがこいつを馬上で振り回す、とんでもなく力持ちな吾人が梁山泊にいる。この得物を上から振り下ろしたら、そりゃー、真っ二つは当たり前、でも当たればの話しで、動きが大きく悟られやすく、交わされた後が、危険だ。こいつを馬上で使うなんぞ、使い方間違っています。実績からいうと、彼は器用に使っているみたいです。
三人の使い辛い得物を得意とする好漢を見てきた訳だが、おすすめは、項充と李袞のやつですかなあ。盾あるてのはいいですね。
今回の漫画は聖闘士星矢からちょいと拝借。風流さんは、山賊の仲間になった途端、本性丸出しで、娘を強奪しに行ったんですな。その親を殺して、自分のものにしたんだけど、このことは、娘には伏せていたのでしょう。そうしないと、毒殺されますからね。
殺された太守の程万里ですが、彼の悪行は董平の証言のみで、本当に住民を苦しめていたかは怪しいです。彼は悪行の親爺と義父の関係になろうとしていた訳で、一緒に住民を苦しめようと思っていたのだろうか。
ところで腑に落ちないのがなんで、董平は五虎将なのかてことですね。強さは徐寧くらいだし、張清のように梁山泊を苦しめたわけでもないのに。その張清を慌てさせた実績があるものの、それなんだろうか?
別の視点から考えて、もしかしたら、水滸伝完成以前において、董平というのは武人では実力者という伝統的な下地があったのかもしれない。三国志の趙雲みたいな立場で、これによって水滸作者が意識して序列も与えたのかもしれない。
なんの根拠もないけど、思いつきで。
作品227
清風寨の文官、劉高の悪巧みで宋江と花栄は捕まり青州に送られることとなった。劉高と青州の兵馬都監、黄信の二人は百五十の兵を率いて青州に向け宋江等を護送したのだっが、清風寨から四十里ほど行ったところで、山賊に出くわしたのだった。この山賊は清風山の兵で、燕順、王英、鄭天寿等が五百の兵を率いて宋江達を救出に来たのものだった。
黄信は果敢に立ち向かったのだが、三人を相手に一人では不利で、だれも救援がないので形勢不利と判断し、青風寨に逃げたのだった。こうなると配下の兵はちりじり逃げて、文官の劉高だけが取り残されることとなり、宋江等は無事救出されたのだった。
黄信ですが、横山光輝の漫画水滸伝ではなかなか目立った存在のなっていますが、原作水滸伝では空気人間となっています。この黄信はなんと地サツ星の序列では武官筆頭で、配属では騎兵軍小彪将筆頭でもあるのです。彼がその序列に反し頼りなく思えるのは、初登場の仕方があまりにも情けない事だったからと思えます。
まず、出来もしないのに青州の周囲の山賊を平らげると豪語していたことです。この為黄信には実力がないくせに、大法螺を吹く人物のイメージがついてしまっています。そもそも、清風山の三人に手こずるようでは、二竜山の魯智深、武松、楊志には到底歯が立たないのは目に見えています。しかも燕順との戦いにおいてはさっさと部下を見捨てて自分一人清風寨に逃げ帰っています。これらの事柄が彼の評価を下げています。
ここで彼を擁護するなら、豪語していたのが二竜山が金眼虎の?竜が首領時代であったとすると、桃花山の李忠、周通、それに青風山の燕順等となり、発言は実現可能なレベルとなります。青風山の三人を各個撃破すれば、桃花山はおそらく周通一人の時代なので楽々と達成できたかもしれません。
しかし、読者は魯智深等の二竜山を想定するので、やはり大法螺吹きとの非難は受けざるをえません。
次に黄信の存在を低くさせているのが孫立の存在です。序列では彼の下でありながら、天コウ星レベルの人物という変な存在。第55回では呼延灼と互角の戦いを演じ、遼国戦では敵の将寇を倒し、田虎では方瓊をしとめるほどの人物。これに対し黄信は倒した将が一人もいない。これでは、どちらが地サツ星武官筆頭の座がふさわしいかわかるというもの。
孫立がいなければ、序列は以下が元副将達と続き、ドングリの背比べ状態になります。黄信の入山時期が初期であったのを考慮して序列が選考されたと考えればおかしいことはなくなります。
さらに、その実績の問題。初期に登場の人物なので、出撃回数は多いのだが、なにせ目立った活躍がない。江州戦、祝家莊戦、芒トウ山戦、曽頭戦、北京戦、関勝戦、火水将戦、童貫戦、遼最終決戦、陵川戦、蓋州戦、汾陽戦、威勝城戦、宛州戦、南豊州戦、常州戦、蘇州戦、キョウ州戦と戦っているが、どうも影が薄い。とくに初期の祝家荘戦いで捕虜になったり、呼延灼戦では、直ぐ負傷して戦線離脱となったり、初登場と同じようにマイナスのイメージを作りだしています。
しかし主役級の天コウ星を目立たせる為に、地サツ星が存在するとするなら、黒子に徹する黄信は地サツ星の鏡といえる。そういう意味では黄信が地サツの武官筆頭というのはおかしい話ではないようです。
作品228
清風山の討伐軍が大群でやって来ることを知った宋江等は、この山で防ぐことは困難と判断し、梁山泊に逃れることを決心した。
この時、仲間は秦明、花栄、黄信、燕順、鄭天寿、王英などであり、初期段階としては、かなりの戦力を梁山泊にもたらしたといえる。特に軍人の三人がいることは貴重である。宋江等は兵を官軍にみせかけ、怪しまれずに梁山泊を目指したのだった。
この旅の途中、彼等は二人の若い武者が戦っているのに出くわしたた。 その若者の一人は呂方。赤い装束で方天戟を使い、対影山で山賊をしている。対戦相手は郭盛。元は水銀の商人で、呂方と同じ得物を使う。この戦いは郭盛が挑んでいたものであり、彼は呂方は方天戟の使い手であることを聞き及び、挑戦してきたのであった。
彼等の実力は同等で、その勝負は三十合に及んだが決着しなかった。そこで花栄が矢を放すと、二人は戦いを止め、宋江等のところにやってくると仲間に加わったのだった。
この漫画では二人の戦いを、地に足をつけて戦っているように描いてのですが、実際は彼等は馬上で戦っていました。これは描いた後、読み直して気がついてことであり、描き直すのも大変なのでこのまま、発表させて頂きます。
ところで、この二人の方天戟ですが、ちょいと問題があります。と申しますのも、飾りである豹尾の房が結構絡まり、困った状態を作り出すということです。
一度目は、初登場の対影山の決闘。この時、二人の房が絡まり、戟が繋がって勝負が続けられなくなりました。そうすると花栄がこれを矢で断ち切り、ようやく二人は解放されたのでした。
二度目は、曽頭市戦にて。こちらは深刻です。第二次曽頭戦でのことですが、この時二人は宋江の護衛の任にありました。二人は敵将、曽塗と対戦しますが、運悪く飾りの房が絡んで二人は得物が使えなくなります。曽塗はチャンスとばかり呂方を槍で刺し殺そうとしましたが、花栄が矢を放しこれを防ぎました。曽塗は傷付き、そこを絡んだままの方天戟を二人一度に着きだし、敵将を仕留めたのでした。
この様に、一度ならず二度まで、絡み合い、花栄に救われるということを起こしています。赤い房をつければ、距離感を幻惑させる効果がありますが、こう絡むからには少し考え直したほうがいいのではないでしょうか。
二人のイメージは呂布と仁貴ということでしょうか。首領を守る護衛の係りとしては、頼もしいかぎりでしょう。
作品229
十八万禁軍槍棒の教頭、林冲といったら、ミスター梁山泊といってもいい人物だ。
テレビでも主役をやっていたし、初期から登場するので彼を中心にして物語を展開すると、分かりやすいのだ。かれは五虎将の一人であり、武将の内では序列2位とかなり高い位置にある。単純に初期から登場するから知られているので、有利なだけでない。かなり強いのだ。そこが人々から好かれる理由でもある。
初期登場で有利になっているといえば、史進があげられる。彼は梁山泊入山後があまりぱっとしない。つまり、十八万禁軍の教頭王進に直接指導を受けてるとはいっても、梁山泊にはもっと実力者がおり、存在が埋もれてしまうのである。その点、林冲は梁山泊の十八番、九宮八卦陣では右翼をまかされ堂々たるものである。
さて、このように物語の主役にふさわし人物であるが、手放しで喜べない面がある。それは「蕩寇志」で、罵倒されショックで寝込んでしまい、そのまま衰弱して死んでしまったように、心のもろさがあるのである。「俺は罠にはまっても健全に生きた、おまえは悪の道に進んだのは、心が弱かったからだ」(確かこんな感じだったと思う)と言われるのも無理らしからぬことである。まさしく林冲の欠点を上げているのであるが。
今回の漫画もこの点を突いてみた。
悪党にはめられ、犯罪者となり身の置き場がなくなったとはいえ、やることがあまりにも受け身なのである。これは晁蓋が入山するときも同様で、けしてボスになろうとはしない。サラリーマン気質なのである。
同じく指名手配の魯智深の場合、二竜山を乗っ取り山寨の主となっている。これとは雲泥の差である。林冲の実力であれば、梁山泊を手に入れることなど朝飯前のなずである。ところが彼はあくまでも、許されて山にはいることを望み、苦しむことになる。
また、どこかで山賊家業を始めることも出来るはずなのに、それもせずに、どうやって生きていこうか身の置き場所を探して苦しんでいる。残念ながら生活力では孔明、孔亮以下と言って良い。
この様に林冲を批判すると、可哀想なので擁護すると。およそ作者施耐庵は梁山泊の面々を英雄とみなしていないのである。これは伝承された水滸のメンバーがそもそも悪党集団なので、そもまま英雄に出来ないことがあげられる。そのため、これら悪党が魔星と封じられる存在とし、改心し国家の大安に尽くし真の英雄になるための、贖罪の物語を完成させたのであるから。
水滸伝では一番英雄に近い存在として廬俊義があがられ、彼の実力は梁山泊上位の実力である。しかし強いだけで人徳がないためか支持されていない、妙に浮いた存在なのである。真の主人公の宋江はというと、支持は受けるが、英雄でなく、自分の運命から逃げようと、その役目を廬俊義に押しつけようとしたりする。
また呉用は知者といっても策謀の知恵に優れて賢人とは呼びがたい。采配を独占したがるのか、彼以外にも参謀として、公孫勝や朱武が存在するが、両名は魔術と陣形に特化して、参謀の働きをしていない。 武将の中で武将らしい、関勝だが、彼は落馬することが多く、ここでも土がつく。
こんな風に水滸伝ではどんなに強くても、英雄にはしてもらえないのである。水滸伝のお話で文句なしで英雄として登場するのは、文曲星と武曲星だけである。
という訳で、どんなに強い林冲であるとはいえど、この路線から外されることはなく、非常にナイーブな人間として登場する。その奥さんへのこだわりは、秦明とは対照的で、後々まで傷をのこし、鬱々とした人生を送っている。最終的にも、華々しく散ったわけでなく、中風で亡くなってしまうという、地味な終焉をしている。
とはいえ、一番人気の林冲は、意外とこの心の弱さが好かれているのかもしれない。
作品230
梁山泊は朝廷に帰順し、宋江は「破遼都先鋒」に任ぜられた。かくして梁山泊軍十万は外国の遼大帝国と戦うことになったのだったが、その前に、事件が発生したのだった。場所は陳橋駅。ここは大宋国の太祖が遼遠征のをしようとして、軍を駐留した場所で所であり、彼は此処で都にとって返し、皇帝の座を手に入れたのだった。陳橋駅はこのような遼遠征ではゆかりの地である。
宋江軍が陳橋橋で駐屯していると、皇帝が労おうと、酒肉の恩賜の品を送ったのだった。ところが、よからぬ役人がおり、これらの品をピンハネしたのだった。これに気が付いた梁山泊の下士が、これを責めると、役人は横柄にも逆賊呼ばわりしたのだった。怒った下士は汚職にまみれた役人を殺害してしまい、このことは帰順したての梁山泊を困らせることになった。
これについて、宋江は下士に涙を呑んで、死刑を下し、事を収めたのだった。
水滸伝の物語では百八人の頭領ばかりが眼につくが、梁山泊軍を支えていたのは、これら下級の兵士たちであった。今回処断された兵士は項充と李袞の芒トウ山の出身のものであった。彼等は漢の劉邦が、かつて山賊業をしていた由緒正しい山をねぐらにしていたこともあり、梁山泊を併合しようなどと、したたかな志をもった面々であった。梁山泊に破れた後は、歩兵軍主力(おそらく)として活躍するのだった。
水滸伝では、遼遠征の場面でこんな下級兵士をわざわざ描いている。ここで梁山泊の置かれた立場がハッキリする。あいもかわらず大宋国にはよからぬ役人が存在し、民を苦しめていること、しかし梁山泊の天命はそういった者を正すことでなく、忠義を尽くし国家の治安を守ることであった。
すなわち外国からの脅威、国内の内乱を鎮めることであった。 水滸伝の物語は役人の不正に立ち上がり、国を正すお話のようで、実はそうではなく、悪い役人同様の、民を困らせる匪賊が国を守るという行為をすることによって、道に戻る話しなのである。
そもそも匪賊連中が、彼等同様の役人を非難し処断することは、おかしいのである。まず自らを正せということで、酷い仕打ちを受けながらも、宋江は天命を貫徹するのだった。
佞臣や役人を正すのは他のものの、ことであって、匪賊連中がすることでないというのが水滸作者の考えと推察される。あるいは、このような、汚職にまみれた役人は、中華の癌で、治りようもないものであると達観して、あえてふれなかったかもしれない。
あくまでも、水滸伝はダークなヒーローの物語であり、真の英雄物語でないというのが作者のスタンスなのである。ここに水滸伝はハッピーエンドで終わらない理由がある。
作品231
蔡京への誕生祝いの品の情報をもたらしたのは劉唐だった。
晁蓋が生辰綱の情報を手に入れた頃、彼は天の北斗七星が屋敷に降ってくる夢を見て、なにか情報と関連があるのではないかと思い至ったのだった。
すると呉用は夢にあやかり縁起担いで七人人を揃えようとした。
かくして生辰綱を強奪するために集まった仲間は晁蓋、呉用、公孫勝、劉唐、阮小二、五、七の七人となったのだった。
落ちの死兆星ですが。これ北斗の拳のねたです。
ご説明致しますと、この星が見えた者は近いうちに死ぬと漫画で設定されています。
水滸伝でも北斗の脇の星とあったので、類似の星であると思われます。
管理者は生辰綱強奪事件の物語から、親分肌とはいえ晁蓋はえらく夢見がちな人だと思えた。北斗七星が落ちてきたからといって、自分たちに結びつけるとはどうかしている。
昔、あるお婆さんが昭和天皇が崩御した時雨が降り、「天も涙を流している」と言ったことがあるが、これに近いものがある。管理者は「単に雨の天気なんだけど」と冷めた目をしたが。第一、天の調整星の北斗七星と盗賊集団を結びつけるなどどうかしている。
機転の効く呉用はそんな晁蓋の空想癖に合わで、七人そろえちゃおうとした。かれは意外と経営者に好かれるタイプなのかもしれない。
宋江登場後は呉用は彼の意向に沿って行動しており、そいいう意味で根っからの補佐役なんですな。
さてこの盗賊団の七人だが、呉用の計画のままで行けば、晁蓋が白勝を推薦し、呉用が「これで七人揃ったと」と宣言し、北斗七星と合致させる事になった事だろう。ところが公孫勝が登場し、計算が狂ってしまう。結局白勝は北斗七星の星でなく脇の星に追いやられることとなった。
白勝が不憫な事になったが、実は星に一番遠いのはリーダーたる晁蓋その人である。他七人は正真正銘の「魔星」だが、彼は「ただの人」なのである。この事実は、八人の中で「本当の鬼は貴方でした」みたいな残酷な事実である。
これらを見てみると、北斗七星の夢は生辰綱とは関係ないと見た方がいいだろう。
では晁蓋の見た夢とはなにか。
晁蓋は「北斗七星が落ちてきて、柄に当たる部分の一つの星から一本の白い光りになって飛んでいきました」と証言している。
これは天の星々が堕天してきて、天魁星(北斗七星の構成星)が飛んでいったということではないか。つまり魔星とその北斗七星の一つである「天魁星」を指し示しているのではないか。
晁蓋の夢は堕天使、特に宋江を見たものと解釈したのだが、どんなものだろう。